■麗江 瀘沽湖 新平(戛洒) 一回目






11日目 通海へ




この日からモンゴル族のいる通海と新平県の花腰タイ族のいる戛洒へ2泊3日の旅になります。朝出発しようとするとY氏の脇に見慣れない女性がいます。聞くところ前回Y氏が雲南に来たときに瑞麗の近くのインジャン「(乃+皿)江」で知り合った女性で昆明までの飛行機代も既に渡してあったとの事でした。たらーり。その後新しくメンバーが一人増えた旅が始まりました。
車は昆明から西双版納までの道路工事だらけの道を昼食の玉渓へ向かいます。7月に来た時には道路工事はそれほどでもなかったのですが今回はほとんどの道路で行われていて「これでも有料道路か」と思います。それに車の方も10年ほど経っているようでサスペンションが相当ヘタッテいるようです。
それでも玉渓で昼食後、通海に到着、一端宿舎の礼楽飯店にチェックインし飯店内の旅行社の男性と少し戻るようにしてモンゴル族の村 白閣村へ行きました。行ってみましたら7月の西双版納の建水に向かう途中で車窓から何故か記憶に残っている村で旅行人の「メコンの国」の194ページの村です。ここは今年始めY氏が写真撮影をした場所で自分で焼いた白黒写真を沢山今回持ってきていました。




礼楽飯店




興蒙蒙古族郷役場




ここでやはりモンゴル族のお宅に訪問したり、わざわざ民族衣装を着てもらったりで楽しいひとときでした。この村にはフビライと思われる3人の大きな像があり木造の建物の中に祭られていてびっくりしました。高さが10メートルほどあります。ここは鍵を持っている人に開けてもらわないと見学出来ませんのでガイドブックには出ていないようです。




蒙古族




民居訪問






三聖宮 入口




三聖宮内部






蒙古族




三聖宮の管理をしている女性






民居訪問




民居訪問






興蒙


その後 通海の北にある杞麓湖へ。
ここには面白い漁がありました。小さな篭を湖の岸にそって何千も湖に沈め、その中に小魚が入るのを待ちます。で夕方その篭を引き上げて魚を集め、すぐに又湖に沈めて明日を待つわけです。これを毎日、毎日しているようですが それなりの漁獲があるようでした。




杞麓湖









礼楽飯店に戻り夕食、ここはなかなかの味で皆さん満足です。しかしY氏とインジャンの女性の仲の良いこと、もう当てられっぱなしです。礼楽飯店ですが1部屋で100元−200元のようですがなかなか設備もよくエアコンはありませんが快適です。夜街に出てみましたがこの街は古い昔の町並みが残っていて小さい建水の街のようです。




12日目 新平県戛洒へ







通海汽車站




新平県の戛洒へ向かいます。我々の乗った古いワンボックスカーは昆明から西双版納への道に入り新平県への分岐点に向かいます。この辺りは西双版納までの道路が新たに造られていて既存の道路に影響を与えていませんので快適に走れます。ただこの付近は私の持っているアメリカ制の等高線の入った地図では道路の位置がかなり不正確で休憩の度にGPSで位置測定を行いました。新平県への分岐点の手前には大きな山脈があり標高差が数百か千メートルぐらいのつづら折りの道を下がっていきました。昆明から西双版納の間には大きな山脈が3つほどありその一つだと思われます。




新平県との分岐点
大開門




同 左が旧道、右が新道 西双版納へ




分岐点からは新平県城までの新道がやはり作られていて県城までの道のりの半分はこの新道と交差したり新道の工事中の道を行きます。この工事中の道路ですが雨が少ないせいか埃がすごく座席が埃で汚れてきます。分岐点から2時間ほどで新平県城です。ここの(シ匯)濱源酒店で昼食です。ここの女性達はみな背が低く漢族か彝族の女性です。女性達の多くは個性的でチャーミングな雰囲気を持っていてチップを弾んでしまいました。




新平県県城 (シ匯)濱源酒店


そして県城から更に西の花腰タイ族が多くいるという戛洒(gasa)に向かいました。道路は更に悪化するだろうと予想していたのですが30Kmほど舗装したての大変快適な道路で拍子抜けです。そして元江を渡ります。戛洒はこの元江の川沿いですからこのまま川沿いに道路があれば簡単に行けるのですが道路がなく、山越えをして山を大きく迂回して行く事になります。




元江




そしてこの道がまたデコボコの上に埃だらけで20Kmの間に車の中は埃だらけ、ビデオカメラも埃だらけで今後の撮影に影響が出ないか心配です。段々と戛洒の街に近ずくと周りは山あいではあるのですが稲作地帯となり、なんとなく懐かしい日本の農村の姿を連想します。




戛洒近く
日本以上に日本らしい


そして道路脇には 花腰タイ族の民族衣装を着た女性がかなりの確率で歩いています。今までの水、旱タイ族の衣装と違って 色の基本は黒でその上にカラフルな刺繍などがあるようです。車が宿の運政招待所に到着しましたが招待所の周りも民族衣装を着た人がいます。また年齢によって民族衣装のガラもほとんど変わらず後ろからみただけですとその人の年齢は良くわかりません。夕食は招待所内の美容室の女性2人が増えて街の食堂へ。後ほどこの美容室のイ族の女性に洗髪をしてもらいお礼に再度街に出て洋服をプレゼント。



運政招待所






運政招待所より戛洒の町
下は汽車站




お世話になった美容室の女性








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