■雲南 イ泰洒の町へ 新平県戛洒鎮
(3回目) その二






3日目 戛洒滞在1日目






この日は丁度6の付く日でしたので市の立つ日で戛洒の2ケ所の市場は朝の7時頃から賑わっています。9月の市の日に撮影した写真を持ち、チェキ、ポケットカメラ、ビデオカメラをぶら下げて市場へ出かけました。
9月の時より幾分、賑わいは少ないようですが年配の女性が野菜を持ってやってきています。9月に撮った女性を探すのですがなかなか再開出来ません。2時間でやっと半分ほどの写真を受け取ってもらいました。その間、チェキ、ポケットカメラ、ビデオカメラと忙しく撮影していました。9時には南恩滝へ出かける事になってます。
市場でトマトと茸を購入して市場脇の昨日の小飯店へ持っていき預けておきました。


市場の朝





豆腐と茸





何かの芽




9時招待所で待っていますと去年のT1さん,T2さん,T3さんと出祖VCD屋の青年が集まって5人乗りの車(後ろは貨物です)で南恩滝へ向かいます。車はかなり草臥れていて途中で冷却水を補充してました。運転手の青年はVCD屋さんの青年と同郷で南恩滝の近くのようです。
つき合ってくれた女性達はどうも仕事を休んできてくれたようで申し訳なく思うのですが詳細についてはわかりませんでした。どうなっているのでしょう。
1時間ほど少しずつ牢哀山山脈を上がっていき南恩滝に到着です。山の下から見ると白い滝だけが見えるのですが車で行ってみると滝の中間地点を道路が横切るようになっていてそこは橋になっていました。そこからは滝の上部と下部か間近に見え、山の下から見る滝とは大きな違いがありました。



南恩瀑布
上半分





南恩瀑布
下半分
9月はこの下まで歩いてきました




そこから更に上がって行きますと東瓜嶺という集落まできました。ここで山道に入り、出祖VCD屋の青年の実家で昼御飯になっているそうです。(知らなかった)・・・・
その実家までは車では行けないようで途中で車を降り暫く山道を歩いて行きます。この山道の雰囲気がまるで日本の山村の雰囲気とほとんど一緒です。彼の実家に着きましたが家の作りはやはり中国的で日干し煉瓦の家で、豚が庭より一段下がった所で飼われていました。しかし家の周りの景色はほとんど日本と区別がつきません。なんだか懐かしい景色で写真とビデオを回す為に是非 ゆっくりもう一度やってきたいものだと思いました。



途中の風景





青年の実家





豚と庭




家には彼の両親、兄と兄嫁がいて6人。押し掛けてきた我々を含めた全員で昼御飯です。なんだか子供の頃 私の母親の実家で食べたご飯を思い出します。



昼食





青年の家




昼食後 来年 花街節に再訪する事を約束し、お世話になったVCD屋の青年の母親と別れました。なんだか他人の家という感じがあまりしません。ここは普通とは逆にタイ族が平地で暮らし、ここの漢族は山地に住んでいました。

耀南村弁事処と小学校に寄って2時間ほどで戛洒の街に戻ります。夕食はT1さんの家で・・・・・・



現在の耀南村弁事処
本来の名称は忘れてしまいました





耀南小学校
昔の私立潤之中学の隣です





帰りの高所から見た戛洒







4日目 戛洒滞在2日目




この日は朝から再度 戛洒の市場に出向きました。普通の日でも日常の食材は売られていました。その後は戛洒の町の中を歩き回りました。律師事務所、写真屋、冷飲店などを半日ほど廻っていました。昼食はT2さんの家に呼ばれました。お兄さんの赤ちゃんも2ケ月でかなり大きくなっていました。その後人民政府の所から町の裏の千枚田?へ歩いて行きます。



T2さんの家




戛洒の町は元江沿いにあり、元江沿いの土地は大概、山地が迫っているのですがこの戛洒のある場所はなだらかな傾斜地が広がっていて千枚田になっています。この千枚田を歩いて上の方に歩いていったわけです。
このなだらかな傾斜地も全てが千枚田ではなく、集落の住居、そしてサトウキビ、蔬菜類の畑地になっている所もあります。畦を歩きながら上っていくと年配の男性が川で使う網を編んでいました。勝手に隣に座り、聞いてみますとこの男性の家は下に見える元江の近くにあり、そこで使う網をここまで上がってきて編んでいるとの事でした。写真写りの良さそうな風体で早速チェキで写して差し上げました。
そこから更に上に上っていったのですが畦の細い所で田の中に落ちてしまい、ズボンもぴっしょりです。ズボンを川で洗って乾かしていました。その間ビデオカメラは戛洒の田園の風景を映していました。



水田




この辺りの傾斜地は何十ヘクタールという単位の面積があるようで、田の枚数も千枚という単位ではないようですがはっきりした事は判りません。よく見ると水牛がいたり遠くには田で働いている人もいます。下の方には戛洒の町並、私が泊まっている招待所の最上階、人民政府の建物、元江の流れなどか見えます。急にわけも判らず涙腺が緩んでしまいます。



水田(建物は人民政府)





水田









戛洒の街に戻る途中
割り箸が1部屋を占領していた




夕方に戛洒の町に戻り、T1さん、T2さんと9月にも行っていた宏福飯店へ。この日も夜遊びもせずすぐ就寝です。






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