■雲南 イ泰洒の町へ 新平県戛洒鎮
(3回目)
■三度 戛洒(がさ)へ
1998年の9月、そして1999年9月にこの雲南省新平県戛洒鎮(新平彝族イ泰族自治県)は訪れています。2度目の戛洒での体験は今までに無い中国を味わう事が出来、普通の中国人、特に花腰タイ族の人々と接して私が10代の頃から憧れていた「中国」の姿そのものがありました。私の日本人としての原風景がここにありました。
この戛洒の魅力に取り付かれた私は1999年11月に3度目の訪問をする事にしました。今度は3度目ですし前回の9月の戛洒行きにお願いしたTさんの仕事に対する姿勢には多くの疑問を感じましたので、それならという事で全て自力で訪問する事にしました。
12月にも貴州省の長角苗族に包干旅行の申し込みをしていますので今回はそれほど長く行く事は出来ません。いつものように2週間ほどの旅行がしたいのはやまやまですが、帰国後体調が戻るまでいつも1週間近くかかりますので今回は安全をみて8日間としました。
JASの成田−広州線が無くなってしまった為、今回は羽田−関空−昆明線を初めて使う事になりました。羽田6時半集合ですから、家を3時半に出発し、始発の4時半の電車が出る都心近くの駅まで家族に送ってもらうつもりです。
自力で旅行をしようという事で今回はパックパッカー御用の縦長のザックを秋葉原のニッピンで予め購入、30+10リットルという中型のものです。いつものビデオカメラは小型のもの、カメラも一眼レフを止めてポケットカメラです。
ただし フジフィルムのインスタントカメラのチェキはフィルム60枚と共に持参しました。
登場してくる人物は略称です。1999年9月の時と同じです。
Tさん 昆明の旅行社の日本語ガイド
T1さん 招待所で働く花腰タイ族の小姐です。
T2さん 花腰タイ族の小姐 大変お世話になりました。
T3さん 花腰タイ族の小姐 戛洒の製紙工場で働いています。
旅の主な日程
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