■雲南 緑春 と 新平県戛洒鎮(6回目)
その三







10日目 戛洒滞在7日目 結婚式




この日はT2さんのお母さんの弟さんの結婚式です。こちらもいつのまにか参加する事になっていました。 この新郎の家はT2さんのお母さんの実家でT1さんのお母さんの実家の隣でした。それでT1さんと,T2さんは仲が良かったわけで親戚以上の付き合いがあるわけです。

朝8時からというT2さんとの約束でしたが遅れてT2さんの家に行いきましたらもう出かけたとの事、一人で新郎の家に行ってみましたら既に結婚式の準備が始まっていて 豚が解体されていました。その半分は新娘の家に送られました。新娘の家は新郎の家から500mぐらいの距離で歩いて嫁入りするそうです。

新郎の家にはT2さんもいたのですが何故か新郎の兄弟であるT2さんのお母さんが来ていません。後で聞いてみると今年T2さんのお父さんが亡くなっているので悲しくて来ないのだという事でした。

こちらの結婚式の準備は先日の準備に較べてそれほど大がかりではありません。参加者も30人ほどのようです。T2さんのお爺さん、お婆さんも健在ですが家がとても古く、昔の日本の農村の家のようで電気はありますがテレビがありません。やはり一軒毎に経済格差というものがあるのでしょう。

9時半頃 参加者全員で食事です。11時頃 私自身は何もする事がありませんので元江まで歩いていってビデオを撮っていましたが戻ってみるとほとんどの人が新娘の家に行ってしまったとの事、後を追って新娘の家に向かいました。

新娘の家は新郎の家と同じように元江の川沿いの村落で500mほど離れた隣の村落です。歩いて10分ほどで到着です。こちらはかなりの人が参加しているようで50人ぐらいの人が宴会の用意をしていました。こちらも新郎と同じような用意がされていて新郎の家の手伝いの人はこちらにも来て二軒分の用意をするようです。
新娘の家は土壁で作られた2階建てで、2階には嫁入りの荷物が用意されていました。衣類、布団、テレビなどです。2階から宴会の用意を見ていましたら庭で豚肉、牛肉をバラバラにして調理していました。お昼近くになると新娘の着替えが始まります。女性の着替えですが下着を取り替えるわけではありませんので私がビデオを回していても問題ありません。

1時間ほどで新娘の着替えが終わり、花腰イ泰族の民族衣装の新娘の完成です。
丁度この頃 お昼ですのでみんなで昼食です。新娘も民族衣装のまま食べています。

午後2時 いよいよ新郎の家に向かいます。まず新娘が家を出て、その後を嫁入り道具を背負った男性が後を追います。すぐに伴娘と合流して頭には毛糸で作った布を掛けます。元江沿いの村落から暫くあるいて新平からくる大きな道路の所の建物に家具類を預けてあったのを出してリヤカーに積みます。
こうしてやっと完成した隊列は全員で20人ぐらいだったでしょうか。しかしこの中には新娘の親は含まれていません。日本でしたらどんな事があっても新郎、新娘の親は参加すると思いますが花腰イ泰族の風習では出席しないケースが多いようです。

新娘一行は新郎の家に向かいます。10分ほどで先ほどの新郎の家に到着ですが到着すると挨拶も無く2階の新郎と新娘の部屋に入っていき その後に嫁入り道具が入っていきました。
家具類の運び込みも終わると新郎の家でご飯です。新娘は民族衣装のままです。午後3時半に新郎と新娘が揃って新娘の家に出かけます。この後 夜遅くまで 新郎、新娘は新居には戻って来ませんでした。私は9時頃まで新郎の家にいていろいろとご馳走になっていましたがやっと9時過ぎに新郎と新娘が戻ってきました。まだまだ宴会は続いていましたが、疲れてきましたので自分の部屋に戻って寝てしまいました。





11日目 戛洒滞在8日目




朝 T2さんの家で朝食、T3さんの結婚式は明日ですので行ってみる事にしました。工場の敷地の裏から入れる小さな門があるのでそちらから入っていたのですが途中で警備の人に聞かれたので理由を説明したら黙って入れてくれました。しかし肝心のT3さんの新居は誰もいませんでした。(後で聞くと新平県城へ買い物だったそうです。)帰りは工場の正門から出ようとしたのですが 今度は警備の人間が文句を言っています。規定で入っては駄目との事です。

お昼はT1さんと同僚の小姐、T2さんとお兄さんとその友人で私の宿泊している建物の1階にて(69元)

以前泊まっていた運政招待所のトイレに行きましたら バスの駐車場に見慣れない衣服を着た一家3人がいました。招待所の新しい経理に聞きましたら、 族(人)−ラル人という事でした。住まいは北の水塘という事でした。詳細不明


午後からはT2さんの家のテレビとVCDプレーヤー用に安定器を購入して取り付けました。安定器は中国の電源電圧が不安定なので、安定させるもので中を開けてみましたら トランス1ケとリレーが3つでかなりラフな安定器のようです。リニアに電圧を可変するのでは無くステップ状に可変する模様です。当初設置しましたら出力が出ず、不良品と思い返品しに行きましたら、最初の5分間は冷蔵庫の為に出力が出ない構造だそうで赤面してしまいました。

夕食はそのままT2さんの家で、T2さんの家には母親とお兄さん夫婦と一才半の男の子がいます。この子が訪れる度に大きくなっていき、今はなんとか歩けるまでになりました。父親とそっくりでいつもだれかがいないとすぐ泣き出します。最初は私の顔を見ると泣き出していたのですが帰る頃には泣かなくなりました。お兄さんそっくりです。









12日目 戛洒滞在9日目 結婚式




この日は6のつく日で戛洒の市がありT1さんのお父さんが湯鍋料理の店を出す日ですし、T3さんの結婚式です。

朝食後、T1さんの湯鍋店に行ってみましたら10名ほどの予約が入っているようでお椀が並んでいます。その内にそのお客さんがやってきましたが派出所の人々でした。
戛洒鎮の町中にはどのくらいの人が住んでいるのかはっきりしませんが私が歩いているエリアでは知らない人に会わずに歩けないという人間関係があるようで、私自身、顔を合わせて挨拶をしても誰だったのかはっきりしない事が多くなりました。ですからT1さんの家庭と公安が顔見知りという事なのでしょう。

戛洒の市に行きますと食材に関しては豊富にあります。しかしそれ以外の雑貨で、生活に必要なものはありますが生活にあまり必要で無い物の品数は少なくしかも品質には多くの疑問があるようなものばかりです。目についたのは子供の頭ぐらいある柑橘類、懐かしいシュロの類で作られた手作りの箕−10元などがありました。

11時半にT3さんの結婚式が行われる南恩大酒店で既に参加者がご飯を食べていましたので参加。新郎は新平県城の方向の彝族の出だそうですのでそこから親戚がこちらへ出てきているものと思います。この時は数十人ぐらいの人々でした。

午後からは一端 泊まっている部屋に戻って帰りの支度を始めました。又、戛洒に訪れる予定ですので生活に必要なものを戛洒で購入したカバンに入れてT2さんに預ける事にしました。明日は一番の公共汽車で昆明に向かう予定です。


午後5時半 結婚式が始まります。日本と違って別段挨拶があるわけではなく招待された人が集まって飲食を共にするわけです。さすがに人数が多く百数十人の人が訪れていて 南恩大酒店の餐庁の中だけでは入りきらず餐庁の庭にテーブルを出して そちらでも宴会が始まっていました。全部で30ぐらいのテーブルがありました。賄いは大変だったでしょう

この結婚式にもT3さんのご両親は参加しておらず聞いてみましたらT3さんの妹が今年やはり結婚式を挙げており 1年の内に二度、結婚式を挙げるのは良くないという風習で自宅にいるそうです。

新娘のT3さんは花腰イ泰の民族衣装で新郎は背広でした。花腰イ泰族同士の結婚式では新郎は黒の男性用の民族衣装でした。暫くすると新郎、新娘は小さなお酒を飲む碗にジュースを入れて各テーブルを廻ります。それをテーブルの人が2杯づつ飲み干すようです。多分昔はお酒だったのでしょうが 飲めない人の為にジュースになったのでしょう。

その後 新郎、新娘でたわいのないゲームなどをして1時間ほど盛り上がっていました。面白いのは何度も新郎が新娘を背負ってテーブルの周りをぐるっと廻っていました。多分略奪婚の名残りなのでしょう。そういえば広西チワン族の南寧の苗族のレストランでもお客さんの為に苗族の小姐を背負った事がありました。

庭の方のテーブルの人はあまり親しい人では無かったらしく薄暗くなると引き上げていきました。新郎の生家の方の人達でしょう。自宅へ帰るには予め、トラックや農事用車両を用意しておくようで、その荷台に乗って帰っていきます。
この結婚式に使われる食材は半端な量ではありません。残ってしまうテーブルもありますの打包もされていました。

室内の方のテーブルはずっと続いていたのですが9時頃には私も明日の昆明への公共汽車が早いので途中で切り上げました。部屋に戻る途中でお世話になった各家庭を廻って挨拶をして早めに寝ました。

戛洒には長居をするつもりはなかったのですが 1日おきぐらいに結婚式があり参加する義務は無いのですが偶然 滞在可能な最終日にT3さんの結婚式という事で9日間も滞在してしまいました。花腰イ泰の結婚式に参加したのですが3回も参加すると疲れるものがありますが良い経験になりました。帰国後この3回の結婚式はビデオCDにして次回、お土産として持参する予定です。(2000,12,1 出来上がりました。全部で数十枚になりました)








13日目 戛洒から昆明へ






戛洒の滞在に9日間も費やしてしまい「もったいない」という感じもあるのですが戛洒の時間と日本の時間の流れ方が異なりますから仕方がありません。緑春と戛洒で15日間が過ぎてしまいました。

戛洒から昆明は全て公共汽車なのですが 今まで8,9時間ほどの時間が掛かっていましたが玉元高速が完成しているかもしれませんので期待して昆明に向かう事にします。
6時40分の一番の公共汽車で新平に向かいます。水塘からの公共汽車で座れないかもと思っていましたが座れました。9時20分に新平に到着です。時刻表をみて玉渓までの切符を購入しようとするとここでも売ってくれません。ひょっとしたらと思い道路の反対側を見ましたらやはりもう一つの公共汽車站がありました。ここでも時刻表に場所が異なる公共汽車の時刻を表示してました。

9時50分発の玉渓行きの切符を窓口で購入したのですがここでは窓口で切符を買わないと乗せて貰えないシステムのようです。公共汽車は昆明−西双版納間の道路に出るまで1時間ほど走り11時近くに交差点の大関門まで進みました。この間にバスの中で高速道路代金として2元が徴収されました。

大関門からは玉元高速に入り30分ほど山道を古い中国の中巴が非力なエンジン音を響かせながら進みます。俄山にくるとそれも一般道に降りてしまい、乗客の乗り降りがありました。そして玉元高速の次のインターチェンジで再度 高速道路に入り30分ほどで玉渓に到着です。今まで大関門−玉渓は2時間以上掛かっていましたので半分の時間で済むようになりました。
新平−玉渓の乗客にとっては2元で乗車時間が半分になるので大変便利になったのですが、その間の地域に住む短距離の乗客は一般道から公共汽車が無くなってしまうので不便になってしまっているでしょう。

11時50分玉渓到着、ここで清真小飯店で昼食1.5元、昆明への豪華バスで昆明へ
昆明13時40分着 そこから金湾バス站へ、このバス站は昆明火車站から西南の方向に1Kmぐらいの距離にあり、バス站の面積に較べ多くのバスが出ています。新平、鎮遠、鄂嘉までのバスも出ていますので私多分 何度もここを訪れる事になるでしょう。
ここの時刻表を撮影して タクシーで茶花賓館へ。8月にここで偽札を押金のバックで渡されたのでその旨を伝えたのですが 最初は信じていなかったのですが早朝、男性からだと言いますと納得していたようですのでやはり間違い無いと思われます。

夕食は愛イ尼山荘へ。いつもの小姐と会い、明日、お昼頃は暇という事で一緒に出かける事にしました。







14日目 昆明





戛洒で洗濯物が早く乾くようにと夜も窓を開けて寝ていたものですからどうも風邪を引いてしまったようで鼻水ズルズルで体がだるく辛いのですが 昆明站前のバス站に再度出向きバスの時刻をビデオカメラで撮影しました。三脚を立てて撮影していても問題はありませんでした。

その後 市内バスで正大電脳城へ、ここは以前訪れた時よりも閑散としてしまってお店の数も在庫も減っているようでした。次に雲南民族出版社へ。4,5冊購入してから愛イ尼山庄へ、いつもの小姐と同僚の小姐の三人で翠湖公園へ向かいます。

二人共 本当は仕事だったようですが休んで付き合ってくれているようです。いつもの小姐には以前から彼女の生家へ案内して欲しいと頼んでいたのですがどうも無理のようです。彼女は西双版納モンラ県の象明郷の出身の愛イ尼族という事は判っていたのですが、家はそこから歩いて8時間という事で断念するしかありません。地図を見ても道路が無くて小さな山ほ2,3は越えて行くそうです。残念です。

二人で翠湖公園でボートに乗ったりしていたようですが私は風邪で元気が無くぼーっとしていました。午後3時タクシーで愛イ尼山庄近くまで戻り 普通の(庶民的な)小飯店で昼食です。私はほとんど食べられないのですが二人でモリモリ食べています。愛イ尼山庄もレストランで食べるものは不自由しないのでしょうが外で食べるのは楽しいのでしょう。ここでも打包

来年再開を約束して別れ、茶花賓館へ
夕食は実験飯店にて







15日目 日本へ




午後0時半 茶花賓館の空港までの無料送迎車で空港まで移動。押金の戻りは偽札ではうありませんでした
(茶花賓館はの退房は午後2時まで)
日本へのJASは午後3時50発に変更になっていたのですがそれを確認せずにいましたので空港で時間が余ってしまいました。飛行機の時刻表を購入して腹ごしらえをしてました。


その後無事 帰国しました。今回は花腰タイ族の結婚式ばかりでした。
戛洒から昆明に戻る時に玉元高速が2000年10月29日に全面開通しており 快適に昆明に戻る事が出来ました。現在では昆明から5時間半で戛洒に到着します。
今回は撮影したビデオテープが8時間、銀塩写真が13本、インスタント写真は120枚ほど使用しました。






ページ先頭へ

目次に戻る

前のページに戻る