■雲南 イ泰洒の町へ 新平県戛洒鎮と大理
(4回目) その一





■四度 戛洒(がさ)へ




 1998年の9月、そして1999年9月と11月にこの雲南省新平県戛洒鎮(新平彝族イ泰族自治県)は訪れていますが今回も タイ族のお祭りの「花街節」に合わせて四度めの訪問をする事になりました。
今度は42才男性のTM氏と二人旅です。TM氏はチェコ好きで1カ月間現地の部屋を借りて住んだ事がある人で戛洒の のんびりした気風があうのではないかとおもいます。但し中国は初めてです。戛洒だけではTM氏も面白くないだろうという事で今回は戛洒で1週間、その後 大理に出て数日という予定です。

今回は昆明までのチケットはアクロスで\58,000、羽田空港はいつもの時間なので今回は南千住のホテル「寿陽」\2,700です。この寿陽は下町にあり近所にはもっと安いホテル?もあるのですがここはその中で一番料金が高いのだそうです。畳、2畳ほどのシングルです。

今年の雲南は25年ぶりの寒波という事で、昆明で一月下旬に大きな降雪がありその後も寒い日々が続いているそうなのでいつもより1枚多く洋服を着ていきました。




ビデオカメラはキャノンのXV1
フジフィルムのインスタントカメラのチェキはフィルム120枚と共に持参しました。





旅の主な日程




 1日目 羽田から関空へ 関空から昆明へ    高速バスで玉渓まで
 2日目 玉渓から新平県城、戛洒へ
 3日目 戛洒 
 4日目 戛洒 から漠沙往復
 5日目 戛洒 
 6日目 戛洒から 哀朗山中の漢族の農家へ
 7日目 同 農家より戛洒へ戻る
 8日目 戛洒 花街節
 9日目 戛洒より大理古城へ
10日目 ジ海のワセへ 船
11日目 大理 一日游 
12日目 大理 蒼山中和寺へリフト
13日目 大理から昆明へ
14日目 昆明
15日目 昆明から羽田へ 帰国





登場してくる人物は略称です。

  T1さん   花腰タイ族の小姐 招待所で働いています。
  T2さん   花腰タイ族の小姐 映画館で働いています。
  T3さん   花腰タイ族の小姐 製紙工場で働いています。
  TMさん   同行した男性 




1日目 昆明、玉渓へ



今回も、日本エアシステムで羽田−関空−昆明線です。
前日から南千住のホテル「寿陽」にTM氏と泊り、朝1番の電車でいつものように羽田空港に到着、その後 順調に昆明に到着しました。関空−昆明の機内ではTM氏がアルコール類を多量に飲んでいて 今後が心配です。

予定どおり午後2時半に昆明に到着したのですが、入国審査で私のカメラとビデオカメラがチェックされました。昆明の税関はなんだか厳しいようです。
その後空港前の中国銀行へ。前回ちょっとした事でT/Cの両替が出来なかったのですが今回は$600を無事換金、TM氏は5万円を換金。
銀行前に駐車していたタクシーで官渡広場の昆明旅游汽車站へ向かってもらいました。今度は相場の10元にて行けました。そこで前回と同じ15:30の玉渓行きに乗車しました。今回は保険込みで32元也。

玉渓では今回もバス站に一番近い雲渓賓館に行き部屋を確保しましたが前回の料金と同じで今回はお湯も出ました。早速 前回の過橋米線屋に直行して二人で食べましたが今回はスープも美味しく、TM氏も量、味共 大満足だったようです。

街をぶらついて就寝、隣の部屋からはTM氏のイビキが盛大に聞こえて来ます。以後帰国まで別々の部屋となりました。






2日目 戛洒へ




雲渓賓館を朝5時半にチェックアウト、トラブルも無くキチンと20元が戻ってきました。まだ街は真っ暗で汽車中心站へ、ここで大紅山行きのマイクロバスのチケットを購入、 前回と同じような新しい車体でした。定刻6:40に出発です。数人ほどの客を乗せ右手に完成間近な玉元公路を見ながら暗い町並みが過ぎていきます。バスのお客は前回より少なく同行者がいるせいかあっと言う間に距離が進みます。玉渓から元江までの高速道路は残念ながらまだ完成していませんでしたが、途中かなりアスファルトの施工が終わっていましたので年末か来年には完成しているかもしれません。

昆明から西双版納の道から分岐する所から新平県城までの新道はほとんど進捗がなくいつになったら完成するのか全くわかりません。
午前10時半に新平県城へ到着、いそいで公安に行き住宿登記です。公安の人がいてしかも私の事を覚えていてくれ、あっというまに登記終了、バス站に戻る途中に米線で昼食です1.5元。午前11時半に戛洒へ出発です。この辺りで天気も良くなり晴れ間も見えてきました。

マイクロバスはここからやっと満員になり元江を渡って砂利道に入っていきます。天気が悪かったせいか道路がまだ濡れていて 埃が全く無く揺れはあるのですが快適に戛洒に向かいます。途中の腰街では市のようで大勢の人が繰り出していて15分ほど客待ちをしてから出発、段々とマイクロバスは元江の川沿いにある戛洒の街へ向かって高度を下げていきます。

前回の11月は田に稲が無く殺風景だったのですが 今回は丁度田植えが終わった所だったようで小さな稲の葉が見え、緑のある田園地帯となっていました。午後2時過ぎに戛洒到着です。戛洒での宿泊は、今回も運政招待所で2階の個室2つを確保しました。
一応、この招待所には11月に予約を入れておいたのですが お祭りの花街節でも一杯にはならなかったようです。招待所の小姐も全く同じ顔ぶれで、JASの機内で買ったお土産を配りました。
その後TM氏と公安に向かい9日まで滞在する事を伝えました。今回も顔ぶれが同じで以後9日まで道路であって挨拶をするぐらいにはなりました。その足でT1さんのお宅に出向き来訪を伝え、お土産を置いてきました。

休憩後、街の中心にある宏福飯店で夕食です。ここでガイドのTさんの作った日文−中文メニューがまだ残っていて注文の仕方をTM氏に伝えて 以後各自で食事が出来るようになりました。 宏福飯店の中は大部分のテーブルが かたされいて 夕方になると賭博が行われるのだそうで雑然とした雰囲気です。宏福飯店だけでなく11月とは異なり、町中賭博が行われているようですが公安も取り締まりをする気配が全く無く、大変残念な街の雰囲気でした。
戛洒ではいつも行っていた冷飲屋さんのオバサンも健在でここでTM氏はビールとジュースを毎日飲んで時間つぶしをしていたようです。

招待所に帰り就寝なのですが、11月の時と同じ部屋だったのですが 今回は掃除も行き届いておらずトイレの掃除をしてから使う事になりました。また部屋の電球の半分が切れていて街で自分で購入して取り替えました。お風呂は熱水が今回も最後まで出ず 風呂無しの生活です。今回も50元/日








3日目 戛洒滞在1日目






朝食は米線だったのですが プーマーラーでは通じなかったようで真っ赤な米線がやってきてなんとか食べたのですが後でお腹は不調でした。その足で市場へ、11月に撮影した民族衣装を着た女性の写真を配り、家族から頼まれていた 油で揚げるカキ餅を購入、 帰国後美味しくいただいております。

招待所に戻りTM氏と共に街の案内をしました。昼は市場の脇で昼食でしたが TM氏はアルコールばかりでした。その後 二人で元江まで行き川沿いの攀枝花の木を眺めて招待所に戻りました。以後 各自での行動が増えました。

招待所の1階にはVCDのレンタルと汽車の修理をしているお店があって11月はここの青年とT1,T2,T3さん全員とで、彼の生家へ出かけました。今回彼は生家に戻っているという事で、今は彼のお姉さんとそのご主人がそのお店を経営していました。前回 三月に再訪するという事にしてましたので聞いてみますと彼のお兄さんが お祭りの日に結婚式という事でその為の買い出しで戛洒の街に降りてくるそうです。その時に一緒に彼の生家へ行くことになっているという事でした。元気でいるでしょうか?
ここの今のご主人に明日 TM氏と共に漠沙へ行きたいので包車のお願いをしておきました。

前回 お世話になったT2さんは今は仕事が変わり電影院という事ですが場所がわかりません。家に行って見たのですが会えませんでした。T3さんは今も製紙工場という事で3交代という事でなかなか会えません。

夕食はT1さんに頼んで私とTM氏は彼女の家でお世話になりました。今回も食事の時間が経過すると段々と親戚の人が集まってきて紹介されたのですが最後にはどの人がどんな血縁かは忘れてしまいました。TM氏も盛り上がっておりました。





4日目 漠沙へ




この日も朝から市場へ行き、11月に撮影した写真を配って招待所へ戻りました。予定では去年 訪れた漠沙の街へTM氏と共に行くことになっていましたので、TM氏の部屋に行くとまだ寝ていて アルコールを大量に飲んだようで喋るのがとてもゆっくりになっていました。今後心配です。その内に1階のVCD屋さんのご主人が包車を連れてきてくれて1日150元との事、車は軽自動車の1BOXでした。

車は戛洒から南の漠沙の街へ向かいます。暫くすると段々畑の景色の素晴らしい所に出、ここで写真撮影です。

1時間ほど走り魚塘という場所の近くまで来ますと女の子が2人、手を振っています。私達の乗っている車は、普段ミニバスとして使われているので停めたかったようです。2人を乗せたのですが、彼女達は魚塘まで買い物だったようですが私たちが漠沙まで行くという事を聞き、一緒に漠沙まで同行という事になりました。
更に1時間ほど走り、漠沙の街に到着、まだ昼近くでしたが漠沙の市場がやっていましたのでぶらついていました。TM氏は1掴み10元で漢方薬を仕入れていたようです。

今回も民族衣装を着た年配の女性が数人程度いるだけで人数のわりには寂しいものでした。そろそろお昼という所で魚塘の小姐二人と再会し、全員5人でお昼という事になりました。やっと綺麗な小飯店を探してお昼です。70元

結局 2時間ほど漠沙に滞在し更に南下し、土林へ向かいました。ここの土林はかなり規模が小さいようで、地元の人しか知らないような規模でした。最初 トゥーリン と言われても何だかわかりませんでした。

その後 漠沙を過ぎて戻ります。車中で彼女達にどの少数民族であるのか聞いてみましたら水タイ族という事でひょっとしたら民族衣装を着て写真に撮らせて貰えるかお願いしてみましたらOKとの事、魚塘で彼女達は当初の用事の買い物を済ませ、自宅に案内してくれました。

家の方はかなり立派な建物でコンクリート作りのようです。ここで1時間ほど待っていましたら二人の女性が民族衣装を着てくれましたので建物の屋上で写真とビデオを撮らせていただきました。非常感謝、帰国後 大きくプリントして送る約束をして別れました。
後で調べましたらこの魚塘の小姐は花腰イ泰族の中の「イ泰(上下)」という支族である事がわかりました。

夕食は宏福飯店にて二人で





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