■雲南 新平県戛洒鎮
(2回目) その四






7日目 戛洒滞在5日目




戛洒の西の哀労山山脈には戛洒の町から見えるかなり大きな滝があります。南恩滝というらしいのですが、景色も素晴らしく涼しくて良い所だと皆さんが言いますので是非 行って見たいと思っていましたが T1さんは招待所で忙しく、T3さんも仕事があります。結局T2さんの家に朝から行き、行きたいと言いましたら思いかげず同行してくれる事になりました。多謝!
こちらは本当に滝まで行く気ではなかったものですからサンダルと一眼レフだけ、彼女は日傘にサンダルでした。果たしてどのくらい掛かるか検討も付かなかったのですが とにかく陽射しが時間と共に強くなる中、歩き始めました。水道タンクと小、中学校の脇を抜け、途中で鉱泉水を購入して、花腰タイ族の村の脇を抜けていきます。少し高度が上がると道路が無くなります。
緩い上り坂でしたので距離は相当ありましたが、地元の人から彼女が近道を聞き、田の畦道を進みます。眼下には戛洒の町と元江が見えてきます。すると滝から潅漑の為に曳いた水路が見えて来ましたのでその水路のヘリを歩いていきます。
段々高度が上がり、滝のゴーゴーという音が聞こえてくると少しづつ涼しくなってきます。戛洒の町から2時間と少し、やっと滝の下まで到着です。残念ながら滝の全貌は見えませんでしたがT2さんと小1時間ほど滝の下で涼を感じていました。写真撮影

今度は下りです。疲れた私に較べ日傘をさしたT2さんは足どりも軽く降りていきます。花腰タイ族の村がありましたので村の中に入っていきましたら村の大きな木の下で村人が涼んでいました。ここで 氷棒(2角)を購入 ブリキの箱に入れてオバサンが売っていました。 アイスキャンディーです。さすがにお腹を壊す可能性もありましたが、トイレはどこにもありますから・・・結局お腹は無事でした。
往復4時間ちょっとで戛洒の町に戻り、二人で昼食です。T2さんには本当に感謝です。仕事を持っていないとはいえ こんなに親切な人もいます。



機織り(帯)








疲れましたのでこの日は午後から招待所で仮眠、その後 ホームページのコピーを去年民族衣装を着てくれたが今年は会えない一人の小姐の為にもう1部欲しいという事で再度、律師事務所へ。



糸繰り




夕食はT1,T2,T3さん、そして招待所の1階にあるVCD屋さんの青年の5人で市が立つ広場にある食堂へ、ここの老板はこの3人の女性の誰かの知り合いだったようです。茸がありましたのでお願いしました。2時間ほど食事をして招待所へ戻りました。ここでうっかり 私が支払いを忘れていたのですが老板は何もいいません。顔見知りだったので何も言わなかったのでしょうが、トラブルが起きるとマズイので再度 出向き支払っておきました。5人で49元也・・・・ シアワセです。

明日はいよいよ戛洒最後の日です。






8日目 戛洒滞在6日目




戛洒も1日延ばしましたがこの日が最後です。朝、毎日開かれている市場へ。その足で宏福飯店で朝食(何故かただだった?)
ホームページのコピーを律師事務所で受け取りT1さんの家へ届けました。これだけの事なのですが 気が付くともう11時です。そしてその足でT2さんの家へ向かっていました。家にはT3さんが来ていました。明日昆明に帰るといいますとT2さんがご飯を作るので食べていって欲しいとの事でしたので彼女の家の前で待っておりました。お昼頃には前日、新平県城に泊まったSさんがやってきて合流です。結局 彼は今回昆明の家に帰れず苦労していました。T2さんはご飯の総菜を仕入れる為に市場に行ったようで、結局1時間半後に昼食です。なんだか時間の感覚が とおーーーい 昔の感覚のような気がします。私としては1時間半も掛けて昼食を作って貰った事が嬉しくてなりません。中国に来てこんなに大事にされた事はありませんので、彼女に一緒に昆明へ行って花博を見ようと誘ったのですが、やはり本人は行きたいようでしたが 家族が反対していて駄目でした。彼女は新平県城には行った事があるが、玉渓、昆明にはまだ行った事が無いとの事、しかも異性の外国人とでは家族が許すわけがありません。彼女の優しさは忘れられません。

T2,T3さん、Sさんと作ってもらった昼食を食べ お世話になったお礼を言い別れました。その後 Sさんと派出所に出向き 明日帰る事を報告。

夕食は宏福飯店で、Sさんは今までの食事代の清算。

戛洒の6日間は私が中学生の頃から夢見てきた 「憧れの雲南」そのものでした。今までの中国旅行は耐える事と同じ事でした。嫌な思いをし、旅行業者から老外として不愉快な体験を多くしてきました。日本ではあり得ない事を多く体験しました。それを含めて中国旅行ではあるのですが、そういった不愉快さを旅行の一部として認められない日本人も中にはいます。(私の家族もその一員です)そういう意味では 中国旅行を他人に勧める事はありません。しかし今回の新平県の戛洒は日本でも忘れかけた 他人に対する思いやりや、気遣いがありました。やっと私の中国を見つけました。いままで長くかかったように思います。






9日目 戛洒から 元江経由−昆明へ




戛洒とも別れ 昆明に向かいます。運転手のSさんと二人で昆明に向かいます。乗ってきた北京ジープは1月の河口の時のトラブルが重傷化し、始動出来ない事が多くなり、玉渓で修理し、前々日は新平県城へSさんは宿泊し、昨日戛洒にやってきました。その為に昆明には戻れず、着たきり雀のようです。しかしさすがに修理しただけあって 始動も一発で天候も良いので昆明に戻れそうです。車にはT1さんの知り合いの方2名が新平県城まで同乗です。

朝 8時に戛洒を出発、まだ先日の雨の被害が少し残っていましたが元江の橋に向かいます。腰街を過ぎ、舗装になり、もうすぐ元江の橋だという所で車が何台も止まっています。崖崩れです。



崖崩れ




戛洒から出発した一番の公共汽車も先頭で止まっていますから夜にでも崩れたようです。ここでも崖崩れの両側に公共汽車がいてお客さんの交換をしていますが、私達の車はそんなことも出来ず困っていました。暫く思案していましたが、停車している公共汽車の中に元江(街)から新平県城へ行く公共汽車があるのを見つけ、Sさんに聞いてもらった所 元江の街まで4時間、問題は無いという事で大周りにはなりますが、元江(街)経由で昆明に向かう事になりました。同乗していた2人は申し訳ないのですが公共汽車で新平に行ってもらう事になりました。
元江から新平県城までのバスも私達と同じ道を引き返していきます。

Sさんと二人で車を元江へと向かわせました。砂利道でしたが大変平坦な砂利道で平均時速40Kmぐらいで走れます。10Kmほどでやはり花腰タイ族の街 漠沙の街です。ここは戛洒から50Kmぐらいですが 民族衣装が雲南の少数民族の花腰タイ族の典型的な民族衣装となります。漠沙の街自体は 戛洒より小さくあまり快適ではないかもしれませんが民族衣装が異なりますから1泊ぐらいは泊まってみたいと思います
車で通過しただけですが 漠沙では数人の年配の女性が民族衣装を着ていたのが見られました。

漠沙を過ぎると元江(川)を見ながら走ります。元江(街)までは民家が少なく、村落もあまり見受けられません。車もほとんどすれ違いません。しかし道路は砂利道ですが走りやすく、結局3時間半ほどで元江の街に到着です。元江(街)は昆明から西双版納までの道路の丁度中間辺りにあります。この西双版納への道路に出てから昼食です。かなり大きな街でした。 2人で50元でした。



途中の東峨中心小学校





元江の街




元江にかかる橋を越えてから サトウキビとアロエを道端で買い込み、一路 昆明へ。崖崩れで3,4時間ほど遠回りになりましたが、漠沙から元江までの景色を堪能できた事はかえって良かったと思います。



元江の北




元江から玉渓までの高速道路はかなり出来ていて、砂利道の状態で一般車を通行させている箇所もありました。午後5時過ぎに玉渓市に到着、1時間で昆明に到着



玉渓と元江の高速道路は未完成




夕食はガイドのTさんと再開し共に再度 愛イ尼山庄へ。その後 昆明湖畔へ。



愛イ尼山荘








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