■云南 河口 金平 緑春 元江





4日目 金平へ




私のみ朝食を抜き、金平へ向かいます。老范寨を過ぎると道端で市が開かれていて渋滞です。道端には苗族の民族衣装を着た女性が多く、日常的に着ているのでしょう。11月の貴州省の苗族の衣装はどちらかと言えば 地味な色がベースですが云南の苗族は赤、黄、緑色がカラフルに混じりその派手さが大きく目に付きました。ここの苗族も新平県の花腰泰族の衣装も年齢に関係ないデザインで年配の女性も若い人と同じ派手なものでした。


老范寨近くの苗族



車はやってきた道を屏辺まで戻りそこから紅河沿いを川上に向かいます。紅河の川沿いの道はまだ砂利道でした。30Kmほど紅河に沿って走り、蔓耗の街へ。ここで昼食、この街はあまり大きくない市が開かれていてバナナを購入しました。2房で1.5元也、彝族と苗族のオバサンが民族衣装を着ていました。


蔓耗の乗合トラックの苗族





蔓耗の市





蔓耗の市の彝族



車で紅河に掛かる蔓耗橋を渡ると2度目のパスポートチエックです。ここから金平までは舗装道路で3時頃には金煙賓館に到着、ここはエレベーターも無いのに2つ星でした。(?)


金平市街





金煙賓館内
鉱泉水が出ます




ここも5階が部屋で登ったり降りたり大変です。この街はあまり少数民族の姿は見えず、あまり特徴が無いように見えました。私は一人で部屋にいましたが、TさんとSさんは中越戦争の時に亡くなった人のお墓参りだそうです。
金平の近くには 頭に鶏の頭と同じような、真っ赤な帽子のようなものを付けている少数民族がいました。紅頭ヤオ族だそうです。結婚するとこの帽子をつけるようで、あまりに派手なのでちょっとびっくり。







5日目 金平から緑春へ






金平全景



金煙賓館で米線の朝食後、取りあえずベトナム国境の那発の街へ向かいます。途中の山道脇には農家にしては小さな家が並んでいます。女性が彝モのようなもの切って並べて干していましたので寄ってみました。
Tさんの通訳でいろいろ聞いてもらった所、家は金平にあるがこちらで働く為の家なのだそうです。イモは木の根だそうで、柔らかく、澱粉が大量に含まれていて、苦いが生食可という事でした。(紅頭ヤオ族)



紅頭ヤオ族
このスタイルは女性です




1時間ほど進むと段々と標高が下がりなんとなく暖かくなり、那発に到着です。あまり大きな街ではありませんでしたが、丁度市の日で街の大通り全てが市となっていました。ちよっと見ると哈尼族、苗族、彝族の姿がかなりの割合で見ることが出来ました。中には15-20才ぐらいの女性がとても可愛く こんなに可愛い女性が中国にもいるのだと感心しておりました。黒がベースの衣装でどうもヤオ族のようでした。


那発の紅頭ヤオ族





那発の市





那発ヤオ族の少女
多分ベトナムから来ている?




その後、街の中心から数百メートル東に国境の橋があるという事で行ってみました。国境の橋はかなり立派で、ベトナム側から多くの女性が歩いてやってきいました。パスポートチェックも何もありません。単に橋を歩いてくるだけです。その歩いてくる中に先ほどのヤオ族の女性とそっくりの女性も混じっていました。私たち3人は中国側のイミグレーションの役人に一声掛けて、その橋の中央まで行き、記念写真を撮って戻ってきました。なんだか国境とはとても思えません。



国境の橋 中越友誼橋





橋から見た那発の街




那発から5Kmほど戻りいよいよ 緑春方面へ向かいます。ここからは人家があまりなくもし緑春まで行けない時は途中の旅社で宿泊するつもりです。まず最初は10Km程で(孟力)拉の街に寄ります。この街は中越戦争の時は戦場だったそうで運転手のSさんもこの辺りで闘ったという話でした。この街までが舗装でしばらくは砂利道が続きます。



(孟力)拉





(孟力)拉の哈尼族





(孟力)拉先の棚田




ほとんど人家の無い道路を数十Kmほど西進していきます。

ここの道路から南へ一山越えるともうベトナムです。そのせいか やはり寂しい場所で人家もあまり見えません。こんな道路を1時間半ほど進みますと丁青に着きましたが人家も10軒ほどの部落で昼御飯は無理でした。
そして次の者米まで行きますとかなり大きな街でここでやっと昼食です。飯店を見つけて用意が出来るまでボーッと待っています。2階ではVCDを有料で掛けていて10人ほどの若い男性が見ておりました。ここの飯店で働いている女性の一人は哈尼族の女性で青色をベースにした落ちついたデザ彝ンの民族衣装を着ていました。ビデオで撮影してから いろいろ聞いてみますと既に結婚していて相手の男性は金平に働きに行ったがその後連絡が無く、ここで働きながら待っているのだそうです。
ここから更に西へ進むと数ケ所で焼き畑が見られました。しかし樹木というより雑草に近い物しか植生としてありませんので火の勢いもほとんどありません。



者米





者米の哈尼族





焼き畑




そこから更に西へ、巴哈、坪河と進みます。坪河は省級の貿易国境なのですがそんな雰囲気ではなく 単なる田舎の村というイメージです。遅くなればこの村で宿泊する覚悟でしたがまだ陽が高いので緑春まで行く事になりました。やはり外観からもここの旅社はご遠慮というしたいと思います。今度は北進して60Kmで緑春です。


坪河




夕日の中を哈尼族の部落を横目に見ながらごとごとと進みます。途中でトイレ休憩で止まった所そのすぐ上が哈尼族の部落でしたのでお土産を持って上がって行きました。



坪河郷我竜村



村の広場では5,6才の子供達が遊んでいましたので蔓耗で買ったバナナと風船などを配りました。どの子も欲しがってあっというまに無くなってしまいました。1軒の家に入りましたら哈尼族の奥さんと娘さんがいたのですが云南方言も駄目という事で意志の疎通が困難でしたがそれでも身ぶりでなんとか通じていました。家の中は暗く、電気もありません。一体年収はどのくらいなのでしょう。稲作はしているので主食は足りてはいると思うのですが・・・・・
もっと居たかったのですが 緑春まで行かなくてはなりませんので後ろ髪をひかれる思いで、車まで戻ります。車の近くには男の子が遊んでいます。河口で買ったベトナムの飴を(2元)1袋づつ渡して緑春へ。







家の前景色





坪河郷我竜村





我竜村遠景




1時間ほど北上すると 元陽−緑春の舗装道路に出くわします。ここの交差点はパスポートチェックがあり私のパスポートは丁寧に記録されていました。そこから西へ15Kmほどで緑春の街でした。宿は緑春賓館という事で探したのですが やっと探したのは緑春招待所でした。つまり同じなのでした。この街はかなり大きいようですが1本の道路の両脇に出来ている街で 「田舎の町」という雰囲気です。招待所は本当に招待所で最初の部屋は電灯が付かず、窓も動かないので取り替えてもらいましたが 暗い・・・・・・・・


緑春賓館内庭




夕食は町中へ出て食べたのですが 私はビールばかり、風邪で中国料理が食べられず、ご飯に日本から持っていったフリカケを掛けてました。





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