■麗江 瀘沽湖 新平(戛洒) 一回目






3日目 寧ランへ




麗江から寧ランへ向かいます。昨日からの車はトヨタのワンボックスカーでなかなか綺麗な車です。後で聞いたところ価格が45万元という事でほとんどが税金です。この車は麗江の森林武装警察の車で今回のドライバーのOさんも公安なんだそうですが そんな感じは全然しません。公安といえば貴州の黎平で捕まったのを思い出します。その公安の旅行業もいろいろと差し障りがあるようで今度お達しが出て解放軍と共々副業が禁止されるようで年内のみという話でした。

麗江から直接 瀘沽湖まで1日で行くことも可能ですがかなりハードになりそうなので瀘沽湖から80kmほど手前の寧ランに向かいます。それでも半分は砂利道です。麗江から東に暫くすると山の中腹から玉龍雪山が見えてきましたがほとんど雲に隠れていてほとんど見えません。今回の旅行では結局ほとんど見えませんでした。更に山道を上がり東へ進むと金沙江に出ます。今まで標高2000メートルほどだったのが一気に320メートルまで下がります。洪水の話は聞いていましたがそれほどの水量ではなく濁った黄土色の水でした。




玉龍雪山




金沙江






金沙江


そこから再度 車は上がり続け金官という農村地帯にはいりました。ここではほとんどの水田が丁度稲刈りでいたる所に人々の姿がありました。20人ほどの稲刈りをしている場所に車は止まり私たちは稲刈りの見学です。漢族の人々が近所から集まり、稲を手で刈り、動力あるいは、足踏み式の脱穀機で脱穀していました。ガイドのT氏は初めてという事で足踏み脱穀機に挑戦していました。




脱穀






金官


車は大きな登りを過ぎ、昼過ぎに永勝に到着、ここで昼食です。
午後からは山地を寧ランに向かいます。地図でみても永勝から寧ランは町が少なく、ほとんどが山地の農村地帯をゴトゴトと車に揺られていきます。途中 站河という10軒ほどの部落に到着、ここでイ族のおばあさんが子供達と共に写真に写ってもらいました。その後車は 標高の高い場所を車は進み 午後5時頃 寧ランの町に到着、ここは歩いてもはじからはじまで10分もかかりませんが県城で瀘沽湖のベースでもあります。この寧ランに到着するまで年輩のKさんはずっと腰痛を訴えており今後が心配されました。




清水河(彝族)






休憩(薬草坪近く)




高峰(麗江からの新しい道路の終着点)






ニンラン


この寧ランでは瀘沽湖のガイドをしてくれるうら若き摩梭人の女性 Yさんと合流、宿は瀘沽飯庄、この辺りになると星の数などは問題ではなくて外国人が泊まれるか泊まれないかという事しかないようです。6時頃 大通りに出てみますとぽつぽつとイ族の女性が民族衣装を着ています。ここのイ族の頭は大きなエイのような黒の平らな板のような帽子を被っています。この衣装を着ていると どういうわけか年齢がよくわからず、その帽子を取って初めて年齢がわかりました。ここでKさんはイ族の民族衣装一式を購入して 私とY氏の撮影に大きな困難をもたらしたのでした。




瀘沽飯庄






彝族




4日目 瀘沽湖へ




寧ランから瀘沽湖へ

やはり腰痛が心配という事でKさんと共に全員で一番大きな病院へ、やはり痛み止め程度だったようで、これからも心配です。病院の中を歩いてみましたがやはり重い病気になったら日本へ帰る事が先決のようです。(瀘沽湖には病院はありません。)




ニンランの病院






紅旗付近




狗頭石の道路と瀘沽湖へ向かう公共汽車




3つほどの山並みを越えていよいよ瀘沽湖です。農家の作りも土で出来た家から丸太を横積みにした摩梭人特有の家が増えてきました。最後の山はかなりの高度で道路もかなり危ない箇所もありましたが無事 峠まで到着、標高3350メートル、瀘沽湖の歓迎ゲートがありました。そこから瀘沽湖が小さく見えてきました。暫く進んで瀘沽湖が大きく見える所で摩梭人のYさんに1曲お願いして収録、嫌がらず唄ってくれました。




瀘沽湖手前の峠




峠からの瀘沽湖






楊さん(下の歌の時のもの)



摩梭人の歌を聞く(2分弱)(L02.MP3)


この歌を聞くためにはMP3のプレーヤーが必要です。






瀘沽湖全景−南側から






手前から里務比島と蛇島
奥は獅子山






大落水




楊さん





10kmほど下ると入域料の徴収ポイントがあり、そこから落水の部落となります。




入域料徴収ポイント




糧食局招待所(瀘沽湖で一番大きい






大落水北端より蛇島


車は一端落水の部落を過ぎ、瀘沽湖の湖畔に向かいます。そこから湖畔沿いの道を通って宿泊する「民族園」に向かうのですが ここも増水の影響でほとんど湖畔の道が水没していました。しかしその水没した道の中をズンズンと車は進みなんとか民族園に入る事が出来ました。この民宿はかなり規模が大きくコの字型に3階建ての家が建っていてかなりの部屋数がありました。建物は摩梭人の民家を大きくしたような木造で、のきや梁には独特のカラフルな色使いがありました。私の泊まった部屋は窓を開けると瀘沽湖という部屋で3人部屋です。ただトイレは共同、シャワー無しでした。遅い昼食をここの1階の食堂でとり、午後は自由時間、私はなんだか疲れていたので窓を開けて昼寝をしてしまいました。湖の水音だけがかすかにする程度で本当にゆっくりと睡眠をとる事が出来ました。夕方、この民族園に間借りしている漢族の姉妹の美容室で足だけ按摩をしてもらってから湖畔を散策、ここの落水の部落のかなりの民家が民宿をしているようで湖畔はほとんどが民宿です。




民族園(落水で一番見晴らしが良い






民族園入口から中庭
ワンボックスカーが使用した車




内側






民族園 食事




民族園2階から獅子山






民族園2階ベランダ




湖畔から獅子山






里務比島




湖畔の道路は冠水






民族園の経営者の住宅内部
大きな五徳



同 内部 ズドダブのベッド
布が掛かっているのがテレビ






民族園中庭から瀘沽湖対岸




楊さんと運転手の王さん





夕食を再度、民族園でとり毎日行われているという摩梭のお祭りを見学しにトウモロコシ畑を唯一の3階建ての建物(寧ラン県糧食局招待所)に観光客がほとんど集合、ここで2時間ほど焚き火の中で歌と踊りがありました。2台のビデオカメラでずっと撮影していて踊りの輪に入る事はありませんでしたが次回は必ず それほど難しくない踊りの中に入りたいと思います。




糧食局招待所にて踊り

















「お祭り」が終わり とうもろこし畑の中を「民族園」に帰りました。民族園の経営者家族が元々の家でテレビをみていましたので暫く一緒にみていました。古い100年も経ったかと思われる摩梭人の家の中の家長であるズドダブの座る位置の隣の彼女が眠る専用のベットの隣にテレビが置いてありました。11時頃就寝、摩梭人のガイドのYさんは私の隣の部屋だったのですが結局、この晩は部屋に鍵を掛けずに寝たようです。いったい本心は?
この夜、この摩梭人の家にはテッセッセで男性が訪れたのをガイドのTさんが目撃、未だテッセッセの結婚形態は実在なり。





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