■雲南  麗江 大理 瑞麗 その4





●7日目 保山から瑞麗へ





今日は保山から芒市市を通過して瑞麗に向かいます。
まだ暗い内から2台のマイクロバスで朝食の保山賓館に寄って、そのまま瑞麗に向かいます。すぐに山間地に入りました。 両側には所々にサトウキビが育っていました。段々と気温が高い地域になってきたのでしょう。 昨日と同じように車の右側に怒江(サルウィン川)が見えて来ました。 少しづつ道路が下がり10Km程で怒江に沿って走っていました。 ここでこの怒江に掛かる紅旗橋には検問があり、写真、ビデオカメラは禁止という話しでした。 実際にこの橋で検問を受けパスポートまで見せました。ただ既に2回経験のあるY氏の話しでは検問も無かったり有ったりだそうです。
橋を越えてすぐの所のガソリンスタンドで休憩、ここで写真とビデオカメラを出して撮影です。




怒江





怒江 紅旗橋




紅旗橋を渡るとすぐに山間地に入りその後2時間程、道路工事の中を進みます。
午後1時に盆地の中の芒市市に到着、芒市賓館にて昼食です。 ここまでくると植生がほとんど熱帯に近く、タイ北部に較べても熱帯の感じを受けました。




道路脇のバナナ





芒市市街の旱タイの女性





芒市賓館




午後からは芒市から三台山にあるジンポー族の部落にお邪魔する事となり幹線道路から砂利道の山道に入りました。
このジンポー族の部落に行くという事は日本の旅行社のパンフレットにははっきりとは書いてないのですが「少数民族の国 雲南 ペー族、納西族、チンポー族」と書かれているのでそれなりの訪問をしなければお客さんは納得しないでしょう。
今回は中国側の元請けの西安北方国際旅行社が「400元出さないと行かない」言い張ったようで日本の旅行社はシブシブ払ったようです。その経過の中ではこのコースは3回目のY氏の口添えもあったようです。
この旅行社の同コースの次の催行時にはジンポー族を訪れるのは無くなるのだそうで その経過を見ているとやはり 因為這里是中国です。




チンポー族の独立民家




そんな事もありましたが三台山の1軒のジンポー族の農家に訪れましたが家人がお爺さんしかいず 16名で家の周りをうろうろ見学して すぐに引き上げました。 豚と牛と鶏が飼われていて自転車がありました。電気は無いようです。

しかしこの程度では満足出来ないと中国側ガイドは見てとったのか更にマイクロバスは山道を上がります。 今度は漢族とジンポー族の混住部落に到着です。 所帯数は100以上あるようでかなり大きいようです。
その中で草の葉と木材で作られた家に訪れました。 この家はジンポー族の民家でご夫婦共在宅でした。 かなり家の壁には隙間があり外光がかなり入ってくるので、どうも家は密閉された空間と思いこんでいる私にはプライバシーは無いのだろうと推測しますが、住みごこちはそれなりに良いとも思えます。
家の中はどこの少数民族の家にあるようなものはあるわけですがテレビがありました。 帰りがけに安物の腕時計を置いてきました。(時間に縛られる生活ではないと思いますが)



チンポー族 家屋内





この家の御主人





中にはこういう家もありました




更にもう1軒、男性が数人、大工仕事をしている家にお邪魔しました。 材木を切断して子供のオモチャを作っているようでした。 切断前に墨壷を使っていました。 私は保山でウィグルの人から仕入れた干し葡萄を差し出したのですが要らないという仕草でした。 それでも置いてきたのですが、帰りがけに同行した人が食べる仕草をしてやっと 果物だと判ったようでした。
1時間弱 うろうろとお邪魔して退散。三台山から幹線道路に戻り、ビルマとの国境の街 (田宛)町市に向かいます。




チンポー族のマキ作り





三台山の山並み




(田宛)町市はビルマとの国境にあり九谷橋の向こうがビルマです。ここは写真はOK,ビデオは駄目という事で車内からちょっとだけ撮影です。 橋のこちら側のたもとには役人がいてコントロールしているのですが向こう側はフリーのようです。 地元の人は自由に行き来しているようです。




(田宛)町市手前 山並みはビルマ





(田宛)町市九谷橋




その後、瑞麗川を渡って、ビルマ領らしい賭博場に連れていかれました。
中には サクラと思われる人が沢山いて100元札が飛び交っていましたが同行された皆さんはその胡散臭さを感じたのかちょっと見てご遠慮でした。
こういった予定外の場所には連れていくが肝心な所には連れていかない中国側の旅行社の態度こそが「中国へ来ているのだ」という実感を受けます。


そこから1時間弱で瑞麗市に到着です。 宿泊は新世紀賓館でお目当ての辺貿市場とは町の反対側となります。 夕食後、早速辺貿市場に出かけます。
辺貿市場は1Km程の道路上に4列の小さなお店がずらっと並び 壮観な眺めです。 タイのチェンマイのナイトバザールよりも大きいのではないでしょうか? 少数民族のカセットと地図を購入し、タクシーで新世紀賓館に戻ります。(5元)



瑞麗市 辺貿市場







●8日目  瑞麗近郊





今日は瑞麗近郊です。まず姐告(ジェガオ)です。 ここは中国、ビルマ国境がビルマ側にこぶのように突き出た所で、国境のゲートがあります。 このゲートも写真OK、ビデオ禁止なのだそうですが、ここは以前テレビの「中国4000キロの旅」という番組で紹介されていましたので VX1000を肩から掛けて撮影してしまいました。
ここの国境も中国、ビルマの人々にはフリーパスで国境のコントロールはありません。
自由に車やサトウキビを積んだ耕運機、自転車が行き来しています。



姐告国境





姐告 地元の人はフリーパス




国境のゲートから北に少し行くと自由市場と宝石店がありました。自由市場は野菜や食材が豊富で 赤米を炊いて売られていました。砂糖を掛けてくれましたがなかなかの味でした。5角




姐告自由市場 紫糯米





瑞麗 辺貿市場




一端 瑞麗の町に帰りフリーに、又 辺貿市場へ その後 昼食。
午後からは瑞麗から南西のタイ族の村を訪れました。 先ず、5Kmほど南東の咸沙村の咸沙奘寺を訪れました。 このお寺はタイ族の村にあり、小乗仏教でここの住職は有名な高僧という事でした。 本堂に上がりますとこの僧が身の回りのものを受け取り、その品物に対して祈願をしてくれます。
意味については聞いてこなかったのですが 私はGPSを、写真好きのY氏はカメラをお願いしました。 お寺は村の広場に隣接していて村の人々が行き来しています。 近所の家の庭に勝手に入っては眺めていましたが、誰にも怒られるでもなく、なんとなくのどかなタイ族の村という印象です。




タイ族 咸沙村 咸沙奘寺





咸沙奘寺住職 物品祈願?





タイ族の民家 壁は竹




その後、更に南東、12Km程の等咸村へ。 ここの村長さんがツーリストに食事の提供を行っているらしく予約無しで、大挙して押し掛けました。 ここはY氏の話しではこのツアーでいつもお世話になっているそうでY氏も3回目だそうです。 Y氏は前回訪れた時の写真を携えて、村長宅の子供さんに渡すようです。 食事は我々が突然訪れたわけで準備もありますので2時間半ほど時間がかかりその間 私たちは村を散策していました。 Y氏と共に村長宅から数百メートル離れた李氏のお宅を訪れ、Y氏がやはり前回 撮影した写真をプレゼントして、1時間ほどお茶をご馳走になってしまいました。
赤米があれば分けて欲しいとお願いしましたら精米したものがあり、名前が「紫糯米」という名前でここの徳宏と西双版納の特産との事で、1Kgほど分けてもらい、更に同行された女性陣におっそ分けです。




等咸村 村長の孫娘





同村 李氏宅





村長宅 夕食のバンブーハウス





村の売店





子供達




子供達が遊んでいるのを眺めていると時間も経過し村長宅で夕食です。
(25元/人だそうです)タイ料理をご馳走になりました。 家の裏にゲスト用の竹の小屋(壁はありません)がありそこで食事です。 食事後 質問しましたら、この小屋は2年おきに立て直す、村民は900人、150世帯との事でした。 夕暮れがやってきた頃、子供達と分かれてやけに飛ばすマイクロバスで瑞麗の町に戻りました。




タイ料理





村長と奥さん




夜は再度 辺貿市場へ。小姐のいる按摩屋さんで凝っている足の裏をほぐしてもらってホテルへ。




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