■長江 三峡 その5






●7日目 豊都






豊都 下船




豊都は鬼城とも呼ばれ死者が全て集まる場所とされているそうです。
豊都の町は三峡ダムでほとんど沈んでしまうようで長江の対岸では代わりになる豊都の新しい町づくりがすすんでいました。
観光地の鬼城は古い豊都の町の北側の丘の上にあるのでダムで水没する事もなく更に増築工事をしていました。
鬼城の入口からリフトで鬼城のメインの天子殿に向かいます。途中にはいろいろなあの世が表現されていて、特に鬼の姿の人形が立っていました。



三途の川にかかる橋




天子殿の閻魔大王を参拝してから再び、リフトに乗って降りる途中、ビデオカメラに取り付けてあったワイドレンズがポロッと落ちて、なんと両足の間にすっぽり挟まって止まりました。下までは20メートルほどある空中での出来事でした。
三峡号に戻り昼食 午後からは船内でなにもする事もなく一番上の甲板でビデオカメラを回してボーーッとしていました。地形も段々となだらかになりいよいよ四川盆地の中に入ってきました。
夜は 三峡号最後の夕食でいろいろな催しかありました。船上で誕生日を迎えた方にプレゼントがありました。又 乗員の方に私たちツアー客からまとめてチップが渡されました。一人千円ですが千円札だったようで全員のチップをまとめた袋の厚さは半端ではありませんでした。チップの集金がなされるまでどうも客室のサポートが今一歩だったのですが チップの集金以後は見違えるサービスでした。








鬼城から見た水没予定の豊都





リフト(広角レンズが・・・)





豊都市街





四川省に入ると治水祈願の為の塔が多い







●8日目 重慶 − 上海






客室で鼠にかじられた林檎




昨夜は夜間航行せず重慶手前の「寸灌水分駅」という所で停泊したようです。
神州号という同じ会社の所有する船にダブルで桟橋に接岸していました。
30分ほどで重慶の埠頭に到着、ここで5泊、6日を過ごした三峡号とお別れです。



重慶 朝門港





三峡 下船




やはり重慶は坂の多い町で埠頭から道路までは急な階段をかなり上がらないといけなく、階段の途中には棒棒と呼ばれる担ぎ屋さんが大勢いました。しかし私たち外国人旅行者には声をかけてきませんでした。
重慶市博物館を見学(撮影禁止)後、隣接している恐竜博物館で実際の恐竜の化石を見ました。人民大礼拝堂の脇の食堂で昼食でしたがやはり、四川の料理でヒリヒリとしてしまいました。重慶空港から上海虹橋空港へ 再度 上海賓館泊



恐竜博物館





重慶市内を大量に走る「軽」のタクシー





人民大礼拝堂と参加されたみなさん





重慶空港







●9日目 上海 − 成田





武漢からここまで一緒だった小出氏とここで別れました。
ノースウエスト機で成田へ。


帰国後 撮影したビデオテープを10名の方にお送りし今までにない反応がありました。しかし2名の方となかなか連絡が取れずにいたのですが1ケ月後に連絡があり、ご夫婦で参加され御主人が中国でウツッタ風邪で肺炎となり 今まで入院していたとの連絡でした。私自身も帰国後 変な風邪をひき、10日ほどおかしかったのですがどうも日本のウィルスと種類が違うようでした。




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