●湖南省  桃花源 王村 武陵源 長沙

その一




1994年12月 湖南省を旅する事にしました。メインは武陵源とよばれる世界遺産に指定された丘陵地帯です。湖南省西部をバスで巡るようで 日本人のあまり行かない山間部で、きっと何かのトラブルが起こると予想していましたが予想どおりいろいろな出来事があり 私にとって忘れ得ぬ旅行となりました。

今回は「ユーラシア旅行社」というあまりメジャーではない会社のツアーでしかもこのコースでは初めての催行という事で「何かが起きそうですね」と添乗員からの出発前の電話でやりとりがありました。

この旅行の記録は映像点数や文字数も多いので覚悟してご覧下さい。
中国のマイナーな山間部の旅行の記録です。




●1日目 長沙へ





上海空港前のアーチ





全日空で上海へ、そこから中国東方航空で湖南省 長沙へ向かいます。上海から長沙まで1時間半の飛行です。中国の国内線らしく 機内食が出ます。座席は後ろで機内食を食べながらふと横を見るとスチュワーデスの小姐が座席に座って同じものを食べていました。しかもお客が残した手付かずの機内食を集めて持って帰るようです。(ご存じだと思いますが 中国では食べる事は日本よりも遥かに大事な事です。)


スチュワーデスといっしょに食べる機内食




午後7時頃長沙に到着しバスで長沙市街に向かいます。もう真っ暗でどちらの方角に向かって進んでいるかがわかりません。中国の地図には 飛行場の位置が書かれていません。いつも飛行場はどこだろう? と思います。現地のガイド氏の名前は 胡さんといい今まで私が会った中で一番 日本語が下手です。後で聞いてみると「あなたがたが今年お会いした3番目の日本人です」という事で納得しました。小柄な方で 日本語が下手でもその誠実な態度は好感が持てます。




現地ガイドの胡さん 多謝!




1時間程で市街のホテルに到着、そこで夕食です。客室も快適で以後快適なホテルはこのホテルに戻ってくるまでありませんでした。



運転手のチョウさん







●2日目 常徳へ





長沙の朝 雨





バスで一路 常徳市へ向かいます。距離にして百数十キロですからそれほどの時間がかからないはずです。しかし益陽という街につくと道路工事で2,3時間渋滞に巻き込まれ 午後 見学予定の桃花源には行けなくなり明日に変更となりました。この益陽の道路工事の渋滞は帰りにも巻き込まれ散々な目に合います。
益陽は洞庭湖の近くで毎年 龍船競争があるという事を帰国してから知りました。




益陽の渋滞 往路は2時間




常徳市は日中戦争の時に戦闘の舞台になった所だそうで今回のツアーの参加者の一人の兄弟をその戦闘で亡くされて一人でタクシーで戦闘のあったと思われる場所に弔いに出かけていました。日中戦争の傷跡は四川省の重慶、雲南省とビルマにまで及んでいます。パックツアーで呑気に観光をしようとしても歴史の重さを感じます。



ガソリンスタンド脇の売店



加油



資水




常徳の徳暉賓館の部屋はまだ工事をしていて部屋に入っても まだバスタブの工事をしていました。お湯もぬるく風邪をひきそうです。このホテルは1泊50元という事で 日本人が来るのに急いで修理をしているのでしょう。
結局 バスタブの栓は無かったので新しくゴム栓を貰って使いました。




徳暉賓館



水道工事中



ビデオカメラ前の子供達



屋台のサトウキビ






●3日目 桃花源 吉首




昨日 行けなかった桃花源によって吉首市に向かいます。距離が350Kmほどの距離があってかなりハードな行程です。大概 中国では運転手は一人で交代要員はいません。ただ運転手の給料はかなり高額という事ですのでそれで良いのでしょう。
桃花源は詩人 陶淵明によって知られ、春になる桃の花が綺麗だという事でしたが真冬だったせいか、極 普通の田舎に見えました。




桃花源入口



東 淵明像



日本からのガイド 加藤さん



桃花観入口





この日の昼食ですが 常徳から吉首までのどこかでという事らしいのですがなかなか適当な飯店がないらしく バスの中でツアー参加者も騒ぎ始めました。
やっと元陵(元はサンズイが付きます)という街の近くの小さな飯店でという事になりました。このコースの初めての催行ですからこういった事になります。
さて 中に入って田舎の食堂ですから何を出されるのか心配で、私たちは勝手に厨房に入って確認をする事になりました。参加者の中に中国語OKでしかも横浜で元食堂をしていた廖さんという方が 全部面倒をみて下さいました。今回も添乗員とガイド+ドライバーで四人もいるのですが頼りがいがありません。
肝炎も恐いので一応 食器類も熱湯消毒をしてやっと昼食にありつけました。




元陵の食堂



食材



食堂の主人(右)と廖氏(左)



厨房





午後は長江の支流の元江の川沿いの道に沿ってかなりの距離を登っていきます。
夜の9時過ぎにやっと吉首市に到着です。ホテルに入って夕食ですが、遅いのでコックさんが帰ってしまったという事で中国では珍しく、冷たいご飯でした。
客室のバスはお湯が出ずこの日から3日間 オフロ無しでした。




元江








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