■雲南省戛洒鎮 10回目 その一





■雨期の雲南行−水害の戛洒へ




今回、雲南省戛洒鎮行きも10回目となります。今回は4月に徳宏から帰国しましたが体調が優れずいくつかの病院で診てもらったのですが「死ぬほどではない」という事で体調不良のまま10回目の戛洒行きとなりました。当初の予定より日程も短くなり11日間とし戛洒鎮と隣の思茅地区の鎮元県の県城(恩楽鎮)を訪れる予定です。

今回もいつものように日本から昆明往復の飛行機を利用するつもりで予約したのですが体調不良で一旦キャンセルしたのですが雲南行きの思いを断ち切れず医者の「死ぬような事はないでしょう」という発言の中 再度、横浜の港華旅行社にチケットをお願いしました。本当にご迷惑をおかけしました。前回の西安行きといいここは、少人数の企業のようですが大変素晴らしいサービスを提供していただいています。感謝に耐えません。


前回の雲南行き後、撮影した写真と編集したビデオCDは体調不良もあり郵便で出発半月ほど前に送りました。送ったものは2月に戛洒中学の踊りの面倒を見ていた刀亜飛老師宛に踊りの練習のビデオCDが30枚と戛洒のT2さんに徳宏旅行のビデオCDが10枚と写真100枚ぐらいです。

出発の1日前に戛洒のT2さんの家に電話してみましたらお兄さんが「雨が降っている」という事でしたが この時期 雲南は雨期で雨でも気にせず出かける事にしました。しかしこの雨が通常の雨でない事が現地に行ってから判りました。








旅の主な日程




 1日目

JAS羽田、関空−昆明行き 昆明から寝台バスで戛洒経由で鎮元へ

 2日目

水害の為 新平で引き返し元江へ、路線バスで漠沙へ、漠沙泊

 3日目

水害の為 漠沙で足止め 竜河村見学 漠沙泊

 4日目

道路が寸断されバスを乗り継いで戛洒へ  戛洒泊

 5日目

戛洒滞在   戛洒泊

 6日目

戛洒滞在   戛洒泊

 7日目

戛洒滞在   戛洒泊

 8日目

戛洒滞在   戛洒泊

 9日目

雨の中 昆明へ   昆明泊

10日目

雲南民族村へ     昆明泊

11日目

日本へ







1日目 昆明へ






関空から予定どうり昆明へ、昆明では空港の両替所が日曜の為か開いていないので駐車場の反対側の中国銀行へ向かいます。やっとこの頃、1$=120円程度までレートが戻ってきました。
その後 近日公園近くの正義路にある上海のカメラメーカーの海鴎の代理店へ、中国で最初に購入した一眼レフのDF-300Xを不注意で壊してしまったので修理してもらうつもりです。このカメラ 内部をいじっていてフォーカシングスクリーンを傷つけてしまいました。このパーツは注意すれば自分で交換される方もいるので部品としてもポピュラーなものです。以前、昆明の旅行社のTさんにこのフォーカシングスクリーンだけ欲しいと頼んでいたのですが「駄目だった」という返事を貰っていたのですが自分で修理を頼んでみようという事で持ってきました。

しかしながらこの日はこの正義照相器材商店は営業していたのですが修理担当者が休みで、カメラも預ける事が出来ませんでした。仕方無く昆明に戻った時に再度訪れる事にしました。尚 雲南ではシーガル(海鴎)の修理が出来るのはここと大理(下関)の2軒だけだそうです。

今回の旅行の目的は戛洒のずっと先の思茅地区の鎮元県の県城(恩楽)と戛洒に行くつもりでしたので昆明の金湾汽車客運站へ向かいます。ここからですと直接 昆明−楚雄−水塘−鎮元行きの寝台バスがありますのでこれで向かうつもりです。金湾站でこの寝台バスに乗車、100.5元でした。乗車してから驚いたのはバスは楚雄経由ではなく、新平経由で鎮元に向かうそうです。すると戛洒鎮を通るという事で聞いてみましたら夜中の2時頃に通過予定だそうです。これで戛洒行きも今後 楽になります。

1時間遅れでバスは出発です。この金湾站からバスは真っ直ぐ南下して昆明飛行場の西側を進んでいきます。この道路は飛行機から見ていましたが通るのは初めてです。30分ほどで昆玉高速に入り、ガソリンを補給してやっと順調に寝台バスは新平へ向かいます。
寝台バスの乗客はあまり多く無く運良く、上段の寝台を一人で使う事が出来ました。玉渓市辺りになると周囲も暗くなりウトウトと半分寝ながらバスは玉元高速を進みます。

気が付くと寝台バスはどうも高速道路を降りて 一般道を進んでいるようです。午後11時頃バスは止まり夕食休憩です。場所は新平県城で、昔のバス站の近くでした。運転手も乗客も道端の小飯店で夕飯を初めました。昆明に到着してから天気は悪くなく、星も見えていましたで雨の心配は全くこの時点ではしていませんでした。
ただ 携帯電話で戛洒に電話しようとしても通話出来ずひょっとしたらという気持ちがありましたが実際はやはり水害で電話に被害が出ていたようです。但しポケットベルは通じていました。

寝台バスは30分ほどで出発し、戛洒の方向へ走り出しました。この時、新平県城付近の道路は雨による災害はほとんど見かけませんでした。バスはこの後 50Kmほど長い下り坂を元江の川へ向かって行きます。しかし十数キロほどバスは進み、ブレーキ用の水の補給所で止まり、朝までそこで停まったままでした。おかしいなと思っていたのですがこちらも眠いのでそのまま寝ていました。





2日目 新平県漠沙鎮へ






午前8時ほどになると更に数Kmだけ進み、道路沿いの家で運転手が情報収集をしたらしく、戛洒鎮までの道路が数Kmほど壊れたとの事で復旧の目処が経たず、バスは別ルートで鎮元に向かう事を運転手がバスの乗客に提案してました。バスは一旦 新平県城−大開門に戻り、そこから元江、墨江、普シ耳の手前から鎮元へ向かうという事で乗客は20元ほど支払っていました。

今回の運転手は親切でこの事が良く判らない私の為に私の所へ来て説明してくれました。こちらとしては雨による災害が発生するようでは鎮元行きは心配になり、鎮元行きは諦める事にしました。

寝台バスはやっと大開門と新平の舗装の終わった道路を脇に見ながら旧道を大開門に向かって走っていますが、その舗装の終わった新道のあちこちに大雨でえぐられた箇所を見かけました。この前前日に大雨があったようです。

寝台バスは大開門から玉元高速に入り終点の元江まで進み そこの県郷客運站で私は降ろしてもらい一般の路線バスで戛洒鎮へ向かう事にしました。水害の為かバスの中は普通より和気あいあいとなり、私も下段の女性と話をしてましたが、鎮元の女性で哈尼族の女性でこの次は是非、訪れてる事を約束し、玉元高速の終点の元江の県郷客運站前で降ろしてもらいました。

午後1時の戛洒行きのバスがあるはずですがやはり「無い」との事でここまで水害の影響が出ているようです。仕方なく午後1時半の手前の漠沙鎮行きに乗り込みました。
水害の影響で路線バスの運行休止になっているワリには全く雨をみていませんのでこの時は実感がありません。漠沙行きのバスも雲南では平均気温の高い元江の街中から順調に元江の川沿いに進んでいきます。

この元江と漠沙鎮の道路の周囲は戛洒鎮よりも気温が高いようで西双版納の景色とかなり似ています。椰子の木やバナナの木が多く見え、昆明から300Kmの距離にしては南国です。バスは時間通り2時間半ほどで漠沙鎮に到着です。ここのバス站では水害の影響をかなり受けていて戛洒・新平方面は道路が寸断されていて1台も出発していませんでした。

仕方ありませんので取りあえず宿の確保です。ここの宿の状況はよくわからなかったのでバス站前の招待所へ泊まる事にしました。ここは普通の招待所で1泊15元 部屋には電灯とベットがあるだけです。
荷物を置いて招待所前のトラックと交渉してインターネットで紹介されていた漠沙鎮竜河村へ行って見る事にしました。ここは漠沙鎮の観光村のようです。
頼んだ車は前部が2シートの座席があり後部が貨物車です。これで2つに別れた漠沙鎮の市街地の内、下の市街地にある砂糖きびの製糖工場の脇を抜けて、元江沿いに暫く川上の方向に進みます。道路沿いでは多くのタイ族の人々が稲刈りと脱穀をしていました。

竜河村はやはり元江沿いの村で 村の入口には観光村らしく手作りの歓迎の門が建ててありました。村の通りは舗装されていてその中を進み、最奥に車を停めて元江まで歩いて行きます。ここの川岸はコンクリートで階段状の港のようになっていて小船もつながれています。雨によるのか、元江の水はかなり激しく流れ、いつもより茶色の水が流れていました。

竜河村に戻り、村の周囲を歩いてみますと戛洒より気温が高いようで植生がより南国の植物が多くセミの鳴き声も耳が痛くなるほどでした。このセミの鳴き声ですが日本のものより甲高く、金属のこすれるような音です。この時期 稲の一回目の刈り取りと脱穀が行われていて、多くの人が田にいます。

稲刈りは裸足の女性が日本の鎌の半分ほどの刃渡りのもので刈っていきます。その後を男性が2メートルほどの大きさの木製あるいは金属製の長方形の箱に刈り取った稲穂をこの箱の内側に打ちつけていきます。この打ちつけるショックでモミが箱に落ちていきます。

そして稲穂のついていない稲藁を束にして水田に垂直に立てて乾燥させておきます。数日後この稲藁を天秤棒で担いで飼っている水牛の餌とする為に自宅まで運びます。

漠沙の水田地帯を歩いていますとこの稲穂で脱穀の為の箱を打つトーン、トーンという音がこだましていました。

村の通りに戻って見ると普通の農家ですがこぎれいな旅社がありここで夕食でもと思って入ってみましたが、家人は一応歓迎してくれるのですがやはり 稲刈りで忙しくそれどころではないようですので30分ほど休憩して退散しました。ここは外国人もOKとの事でした。
漠沙鎮に戻り 夕食です。招待所の下が食堂ですがこの漠沙は綺麗な食堂がほとんど無く蝿がぶんぶんと飛んでいます。こんなの状態ではあまり食欲が湧きません。漠沙鎮はタイ族の民族性は戛洒鎮よりもより強く感じますし 年に一度の花街節も3日間と長く、戛洒の1日間より長いお祭りです。しかしその代わり、良い食堂や宿泊施設が少ないようです。元々 体力の無い私には残念ながら戛洒の方が合っているようです。

夜はタオルで体を拭いて就寝、シャワーもあったのですが綺麗ではなく断念。







3日目 漠沙 1日游






漠沙の朝は 市場が2ケ所有り、訪れる度に見学していたのですが前回の3月にやってきた時には市場が使われていませんでしたが今回は開催されていました。その後 汽車站に行ってみましたが相変わらず道路は不通ですのでもう1日様子を見る事にしました。

市場をうろうろして朝の米線を食べて終わってから3月に行った隣の曼勤村へ行って見る事にしました。そして午後からは魚塘の以前訪れた女性の家を訪れて見る事にしましたので包車を探しました。ここは戛洒と違ってあまり車の数は多くないようですが軽のワンボックスカーが何台か道路に停まっていますので 人柄の良さそうな運転手を見つけ場所と時間を言ってお願いしました。午後5時までで100元

曼勤村は3月と違い市の日ではなく普通の日で、道路に数人の人がいるだけです。
3月に市のあった場所には人がおらず、簡単に建てた竹で作られた小飯店に少し人がいるだけです。この場所は竹が西双版納のように一カ所に固まって生えていて良い雰囲気ですが誰もいません。

その市の場所から道路を渡った反対側には曼勤小学校があり、そこからは子供の声が聞こえてきますので勝手に入って行きます。校舎の裏で子供達が遊んでいます。勝手にビデオカメラを回しながら 蚊の忌避剤を足に塗っていました。しかしこの忌避剤ですがアロエの成分を使ったもので変な臭いもせず副作用も少ないようですが肝心の効き目は全くで塗った5分後にはもうそこに蚊が刺していました。日本から持っていったのですが無駄でした。

子供達は風変わりな私がいてもゴム飛びなどをしてました。こちらの方が飽きてしまって小学校の中を歩いていき、事務所の前に来ても事務所の人はこちらを気にしないようです。
その後 小学校から村の中を歩いて元江沿いの村落まで歩いて行きましたが、やはり稲刈りが行われていて村落の中は閑散としており、金銀細工を売り歩いている行商人が商売道具を道端に置いてトランプをしているぐらいでした。

この辺りの村落には小さな池がありアヒルが泳いでいる風景を良く見ます。この池から水がひかれ池の隣ではその水を使って体を洗ったり、野菜を洗ったりしていますがこの時はは人がおらず寂しい村落でした。

昼過ぎに漠沙に戻り運転手と昼食です。この時にお願いしていた運転手は20才前半の男性でなかなか性格の良い青年で父親が漢族、母親がタイ族だそうです。昼食は彼の知り合いの場所で1階で診療所を開いていて2階が餐庁です。なかなか美味しかったのですがここでも蝿が飛んできます。本当に漠沙は蝿が多い場所です。
運転手に漠沙の一番良い招待所を聞きますと人民政府招待所という事で行ってみましたら人がいませんので夕方もう一度 行って見る事になりました。

午後からは先年 訪れた漠沙と曼蚌の間にある魚塘の女性の家を訪れて見る事にしました。この方向は水害で道路がどうなっているか不明ですのでその様子を見る為にも行って見る事にしました。

漠沙を出ると道路は舗装されていました。3月はまだ舗装されていませんので2ケ月間の間に舗装されたようです。初めは良い状態だったのですが進むに従い 雨によって道路の脇の傾斜地が崩れていて やっと先ほど通れるようになったばかりという箇所が何カ所もありました。折角 舗装が終わったばかりなのにこれでまた補修経費がかかります
もし水害がなければ快適なドライブになりそうですが残念です。30分ほどで何とか魚塘に到着し先年訪れた家の前で車を停めて貰いました。ここも道路と川が交差する場所には橋が掛かっていたのですが橋の下の水が通る部分全てが上から落ちてきた土砂でふさがっていました。その為、水は橋の上を流れていました。

1年ぶり訪れた家では残念ながら彼女は玉渓市に打工で行っているという事で会えませんでした。3月には戛洒のバス站で合っていましたので家にいると思っていたのですが残念です。
家にはお父さんと近所の人がいて30分ほどお邪魔して早々に戻りました。道路では運転手が車の修理をしてましたが、彼の話では大型の車なら戛洒方面に行けるという事を聞いたようです。無理をすればこのまま行けそうでしたが荷物が漠沙の招待所に置いたままでしたので一旦、漠沙に戻る事にしました。

漠沙に戻って昼に訪れた人民政府の招待所に行ってみますと担当のオバサンがいて泊まれる事になりました。部屋は3人部屋でテレビ、熱水、水洗トイレがあり綺麗です。但し60元/晩

明日、午前8時に漠沙から戛洒へ向けて同じ車でなんとしても出発したいと思い、お願いしました。
携帯電話はこの晩 やっと戛洒のT1さんの家に掛かり 今漠沙にいる事を告げました。
晩は久しぶりにテレビを見ていましたが新平電視台で曼蚌の水害をやっていました。大雨で家が破壊され道路が流されてしまい、これは戛洒へ行けないようです。夕方聞いた大きい車なら行けるという話はどうなっているのでしょう。しかし考えても仕方ありませんので寝てしまいました。








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