■日中混成−徳宏へ その一





■一家で戛洒へ




 1999年3月、一家で雲南省の瀘沽湖へ出かけましたが今回は 私がいつもお世話になっている戛洒へ出かける事にしました。その後 戛洒のT1さん、T2さんも含めた5人で雲南の徳宏州へ旅行をする予定です。

今回もいつものように日本から昆明往復の飛行機を利用するつもりでしたが、昆明行きは相当混んでいるようで結局、行きは成田−西安線を帰りは昆明−関空・羽田線を利用する事になりました。西安から昆明は成昆鉄道を利用する事にし、火車のチケットはいつもの旅行会社に無理を言ってお願いし手配する事が出来ました。

今回は人数も多く、又 不確定な要素が多いので旅先でどうなるか不安もありますがとにかくなんとかなるでしょう。そんな気持ちで成田から飛び立ちました。
旅行中はいろいろな事がありましたが旅先でメモを付ける気力が無く撮影したビデオテープを見ながら書いております。



旅の主な日程




 1日目

JAS成田発−西安行き 西安から軟臥で西安へ

 2日目

軟臥、成都を経由して昆明へ 36時間

 3日目

火車で昆明へ 午後 戛洒へ、戛洒泊

 4日目

戛洒滞在 公安へ  戛洒泊

 5日目

戛洒滞在 湯鍋  戛洒泊

 6日目

戛洒滞在、耀南村南恩滝 戛洒泊

 7日目

戛洒−漠沙往復 戛洒泊

 8日目

戛洒滞在 戛洒泊

 9日目

戛洒より昆明へ 寝台バスで騰衝へ

10日目

寝台バスで騰衝へ 温泉へ 騰衝泊

11日目

騰衝火山、和順郷、国殤墓園 梁河泊

12日目

盈江へ     盈江泊

13日目

盈江より 榕樹王、那邦国境へ 盈江泊

14日目

盈江より 瑞麗へ    瑞麗泊

15日目

瑞麗観光 包車    瑞麗泊

16日目

瑞麗より芒市へ 飛行機で昆明へ 昆明泊

17日目

昆明滞在 T1,T2さん戛洒へ 昆明泊

18日目

昆明より 日本へ







1日目 西安へ



一家で海外旅行をするのは瀘沽湖以来、2年ぶりで今回はガイド無しの自力です。旅姿も家族3人共、ザックを担いで18日間の日程に備えました。JASの成田発はほとんど満席で何事も無く西安に到着しました。西安咸陽空港の国際線は初めてですが JASの機体から入国審査まで全て地上の徒歩でした。国際線では初めての経験です。余程 西安の国際線は便数が少ないのでしょう。

入国審査・税関も無事に過ぎ、両替所で15万円ほど両替をしました。この所の円安で1元が15円以上というレートで9900元ほどにしかなりません。18日間で5人分の費用を見込んでいますので日本から持参した元を加えても多少心配です。その後、西安の市内に向かうのですがリムジンバスを探そうとするのですが両替所からタクシーの運転手がしつこく付いてきます。最初は150元ほどだったのですがリムジンバスの値段を言いましたら結局100元まで下げてきましのでこちらも3人ですのでお願いする事にしました。
オバサン運転手で車まで来ると車で待っているように言われて待っていますともう一人のお客を連れてきました。包車ではありませんでした。結局このお客さんは一人で70元だったようでなんだか得した気分ですが タクシーの運転手は儲かります。
空港から50分ほどで西安市内へ入ります。最初に後から来たお客さんを降ろす為に西安西駅近くへ、このお客さん多少日本語が話せるようです。

その後 日本から寝台の軟臥のチケットをお願いしている西安康輝旅行社へ向かいます。康輝旅行社は個人的にあまり良いイメージを持っていないのですが中国の旅行社は会社の体質というよりその担当者の個人的資質の違いが大きいので気にしないようにしています。

小雁塔近くに到着し、同旅行社の切符売り場を見つけたのですがオフィスは別の所のようです。親切に切符を持って来て貰えるという事で10分ほどで担当の方が切符を持って現れました。軟臥の上段2枚、下段1枚でした。手数料35元/枚という事で無事入手出来ました。日本の旅行社で航空券の購入と同時に日本−北京−西安と連絡していただき軟臥の切符が入手出来ました。こんなに楽に入手出来て、お世話になっているいつもの日本の会社に感謝です。

チケットを入手して後は火車駅に行くだけですが出発は夜の10時18分ですので時間がありますので鐘楼へ向かいます。3年ぶりの西安ですがこの鐘楼の所は綺麗になっていて鐘楼の西側が整備され広場になっていました。ガイドブックにも出ていた、「同盛祥」というレストランへ入ってみました。ここは羊のスープ、春雨、パン、香菜を入れた「羊肉泡(食莫)」が有名という事で頼んでみました。先ず最初にお椀に硬いパンが入ってやってきます。これを自分の手でちぎって調理場に返します。これを使って調理するわけですが10分ほどすると 上記の具が入ってゴッタ煮のようになって出てきました。有名の割にはまあまあでした。

ここの服務員は田舎から出てきたような素朴な女の子でした。プリンカム(デジカメとインスタントカメラが一緒になったもの)で撮って上げたのですが もっと欲しいとねだられて停まらなくなりそうなのですぐに退散。

暫く鐘楼の隣の広場で休んでいると身なりの悪くない乞食が入れ替わりやってきてせびっていきます。最初は1元ほど渡していたのですが 数組もやってくるとこちらもたまりません。10才ぐらいの兄弟、60才過ぎのオバサンの2人組、後から後からやってきます・・・・・・・・

暗くなってから 軽自動車の面包を探して西安駅へ。ここの駅は軟座・軟臥の待合い室が異様に狭く、おかしいと思っていましたら隣に有料の待合い室がありました。茶水付きで5元
しかもこちらは発車の表示板も駅員の案内もあります。無料の方は表示も案内もも無いので困るでしょうね。発車1時間程前に案内があり車両へ、しかしながら実際の発車は予定より1時間ぴったり遅れで午後11時18分でした。家族は発車時には既に寝ていました。

他の列車と一つだけ異なったのは軟臥のお客さんの氏名や単位を車掌が検札の時に書かせた事です。成昆鉄道だからでしょうか?

西安発昆明行きのK165は36時間、約2000km、明後日午前11時着です。






2日目 軟臥 昆明へ






朝、列車は宝成線を成都に向けて走っています。この宝成線も山岳路線のようであまり線路の周囲には町が見えません。

軟臥の客室は今まで私が乗った客室の中では一番綺麗で4人部屋の残りの一つのベットは西安の年配の男性が麗江への旅の為に乗っていました。隣の客室には奥さんが乗られていました。
朝食は餐庁車へ行ってみましたが10元でこれなら方便麺の方がマシという代物で以後 餐庁車には出向きませんでした。食堂車はどこでも高くてまずいのは同じようです。

列車は出発の1時間遅れを少しづつ取り戻そうとしているのか駅につく度に45分遅れだったり、30分遅れだったりします。
午後2時頃 四川省の成都に到着です。ここからいよいよ成昆線です。窓からの撮影に制限があるという話もあるのですがどうもそんな気配はまるでありません。

昼食、夕食は、ワゴンに乗せてやってくる弁当を買って食べていました。10元也、これも餐庁車で作っているのですが値段がそれほど高く無い(10元は火車では相場ですがそれでも一般の町で弁当が10元という事はありません)ので許容範囲です。

同室の西安からの男性と片言の会話をしながらボッーと列車は進みます。
車窓は段々と日が沈み、線路と平行している川が色を無くしていきます。成昆鉄路は以前から乗りたい路線の一つでしたが一番の山岳地域は丁度 夜間の通過で全く外が見えません。トンネルの中のゴッーという音だけが聞こえてきます。撮影制限など必要が無いようです。

西昌、攀枝花と四川省を進みますが駅以外の外の景色はほとんど見えません。







3日目 昆明 そして戛洒へ






時たま目をさますと偶然、駅で停車している事が多く、列車の遅れは、取り戻したり、更に遅れたりいろいろで 時刻表そのものがかなり余裕を持って作られているようで朝方にはほとんど列車の遅れは無くなっていました。

列車も四川から雲南に入り、真っ暗だった元謀、そして配偶者がマントウを買いにホームに降りた 広通を過ぎなんとなく車窓の風景もいつもの雲南の景色に近づいてきます。

天気もまだ乾期のようで明るい陽射しが照っています。午前11時過ぎ、列車は昆明駅に到着で時刻表から10分遅れですから立派なものです。
駅からその足で駅前の昆明の汽車客運駅へ、行ってみますと建物が改装中で通常のバスがほとんど見えません。後で判りましたがほとんどのバスは西隣の場所へ移動していました。但し 高速バスだけは今までの位置からの乗車で午前11時半の玉渓行きに乗る事が出来ました。なんだかやっとホッとした雰囲気です。

予定どおり午後0時半過ぎ高速バスは玉渓のバス中心駅に到着、近くで昼食後、今度は県客運駅で新平行きの1時10分発のボロの中巴に乗り換えました。このボロ中巴の隣には中型の新しいバスが1時40分出発で客待ちをしていましたが、30分差につられて1時10分発のボロの方で出発しました。しかしやはりマイクロバスは峨山まで一般道を走りそこから玉元高速に入りました。更に終点の大関門まで高速道路を使わずに一つ手前の化念で降りてしまい玉元高速の有り難さも半分です。

路線バスはお客が満杯にならないとお客を拾う為に高速道路を走らず一般道を走行するのではという危惧があったのですがやはりそうなってきました。玉元高速が開通したばかりの時はほとんどのバスが高速道路を使っていたのですが残念。

中巴は大関門から新平県城への工事中の道路をガタガタと揺れながら進みます。この悪路は新平県城から戛洒までの砂利道までよりも状態が悪く、私もなんとなく気持ちが悪くなってしまいました。

新平県城に近づいて携帯電話の電波も入ってきましたので戛洒のT1さん、T2さんのポケットベルに掛けてみましたら今度はT2さんから直接 携帯に電話が掛かってきました。片言の会話でしたがとても嬉しいものです。

中巴はやっと4時に新平県城へ到着、4時15分の大紅山行きに乗り換えて戛洒に向けて出発です。太陽も西に傾き初めています。
バスの中には農耕用の車のエンジンが積まれていて元江の川の近くの村落に持ち主が同行しないまま届けられました。中巴の運転手が届け先に一番近い所まで車を持っていき、届け先の人に渡すわけです。

バスは元江を渡り腰街を過ぎていよいよ20kmほど下って戛洒です。道路は改修工事が進み路肩のコンクリート化がほとんど終わり 戛洒方面から順に程度の良い砂利道にしていました。この程度の良い砂利道というのがなかなか日本でもお目にかかれない砂利道で耐久性は期待できませんが 砂と小石を混ぜたものを道路の表面に被せていきます。そこをロードローラーで固めていきますが、固めた後はまるで舗装道路のようです。残念ながら耐久性は無さそうで、その為に散水車で水を掛けていました。この後、舗装にするのか ほったらかしにするのかは不明です。

いつも感じるのですが 玉渓−新平のバスの中はわりと殺伐としているのですがこの新平−戛洒のバスの中はなごやかな雰囲気がいつもあり、今回も乳児を抱いたお母さんが乗ってこられ、こちらもプリンカムを出して映しました。そのお母さんがバスから降りようとしても運転手はバス料金を取りません。距離も短かったようですがなんだか嬉しくなりました。

ダハ橋を過ぎていよいよ戛洒の街が見えてきます。良く見えるように新平のバス駅で一番前の座席を頼んで貰っていましたので子供に座らせていました。バスの運転手に戛洒の風景は素晴らしいと言いますと嬉しい様子です。バスの中の女性に私を覚えていてくれている人もいてなごやかに戛洒の街に向かって降りていきます。この3月下旬は田植えが終わり戛洒の棚田も稲の緑色が大変綺麗です。
この路線バスで昼間 戛洒へ降りて行く時の風景は何度体験しても良いものです。もう何度も通っていますのでこの頃は道路のカーブも覚えてしまいました。午後6時半 少し暗くなる中を戛洒の街に到着です。

戛洒の運政招待所の前で中巴を降り、招待所へ。部屋は空いているという事で単人間を2部屋お願いしました。ベットはセミダブルです。
荷物の整理をして夕食の為に食堂へ

T1さん、T2さん宅へ戛洒来訪の挨拶をしてこの日はすぐに寝てしまいました。






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