■雲南 新平県戛洒鎮(7回目)
その一





■飽きずに戛洒(がさ)へ




 雲南の戛洒もこれで7回目です。前回は偶然、花腰タイ族の結婚式に3回も呼ばれて参加してきました。今回はその結婚式の写真と撮影したビデオテープから作ったVCDをその新郎・新娘に持って行くために7度目の戛洒行となります。JASのマイレッジもとうとう2万Kmとなり大阪−昆明間も無料です。
東京−昆明間の安いチケットで10往復ほどすると大体、2万Kmになるようです。
残念ながら羽田−関空間は無料にならずこちらは特定便割引で購入しました。




今回もビザのみ横浜の港華旅行という会社にお願いいたしました。


ビデオカメラはお土産が多いので小さめの松下のNV-DJ100

今回戛洒鎮へ行きましたら、戛洒鎮の民芸品のパンフレットがありましたので貰ってきました。国内の観光客も少しですが戛洒を訪れるようになったようです。

   戛洒鎮の民芸品のパンフレット





旅の主な日程




 1日目 羽田から関空へ 関空から昆明へ 公共バスで新平へ、タクシーで戛洒へ
 2日目 戛洒滞在 11月の結婚式のカップルに記念品を届ける
 3日目 戛洒滞在 花腰タイ小姐写真撮影
 4日目 戛洒滞在 耀南村往復
 5日目 戛洒滞在 曼秀老寨へ
 6日目 戛洒滞在 
 7日目 昆明へ
 8日目 日本へ





登場してくる人物は略称です。

  T1さん   花腰タイ族の小姐 戛洒の賭博場で働いています。
  T2さん   花腰タイ族の小姐 同
  T3さん   花腰タイ族の小姐 11月に、彝族の男性と結婚されました。







1日目 昆明へ



今回も、いつもの日本エアシステムで羽田−関空−昆明線です。
いつもは格安チケットを購入するのですが今回はJASのマイレッジが溜まりましたので関空−昆明は無料となりました。残念ながら羽田−関空間は無料ではありませんので、国際線に接続するいつもの国内線を特定便割引で購入(往復\22,000)しました。無料チケットを航空券の価格が安い冬季に使用してしまうのはちょっと残念です。

関空に到着して昆明行きの待合い室で待っていますと搭乗者がなかなかやってきません。結局この便は40名しか搭乗しないとの事で、この路線の先行きがとても不安です。
機内は8名のハーレクィンエアーの空中小姐?のサービスでとても快適です。5名のお客さんに1名の空中小姐ですから・・・。予定どおりに昆明に到着し、空港の両替所が開いていましたので両替をしました。808元/$100

今回は金湾バス駅からバスで行くつもりですので、金湾バス駅までタクシーで向かいます。20元。昆明から鎮源又は鄂嘉行きの寝台バスで行き、戛洒の隣の水塘で降りて、乗り換える方法と、昆明−新平−戛洒と公共バスを乗り継いで行く方法があります。金湾バス站ですと両方のバスがありますので便利です。

金湾バス站に行ってみますと鄂嘉行きのバスは無いとの事、又 鎮源行きのバスは午後5時発という事で一番無難な新平県廻りで戛洒へ向かう事にしました。午後4時発で簡単な食事を済ませてバスに乗り込みました。このマイクロバス−中巴は程度が良く定時に出発し、昆玉高速、玉元高速と進みます。玉元高速公路は別に2元ほど高速道路代金の集金がありました。昆明−大関門まで2時間、そこから新平県城まで1時間でした。

午後7時過ぎに新平県城に到着しましたが、ここのホテルは一泊140元もします。(しかも星無しでバス無しです。とんでも価格です。)それならという事でタクシーで戛洒まで夜道を行ってしまおうとタクシーを停めて聞いてみましたら150元との事で、そのタクシーで戛洒へ向かう事にしました。公共バスは午後5時半発が最後です。
何故かそのタクシーは県城の別の場所へ寄ってもう一人の若い運転手を乗せて出発です。夜道で距離が往復で180Kmですから2人で運転するようです。でもちよっと不安です。

タクシーは夜道をかなりスピードで進みます。新平県城から元江の橋までは約55Kmほどですが舗装されていて状態も良いので平均50KM/hで進みます。そこから戛洒までは工事中の砂利道で平均20Km/hほどで進みます。それでも公共バスで2時間半ほど掛かる時間を1時間40分で戛洒に到着です。
午後9時半に戛洒到着です。羽田を午前7時半出発ですから14時間で雲南の田舎に到着するのですから雲南も近くなりました。

前回 宿泊した戛洒汽車維修中心住宿部の前でタクシーを降ろしてもらいましたが部屋は残念ながらありません。仕方がありませんのでその反対側にあるT1さんの家を訪れました。皆さん在宅でした。荷物を預かってもらい部屋の確保に向かいました。いつもの運政招待所に行きましたら1人部屋が有りました。夕食はT1さんの家の隣の隣が心開食館という小飯店を開きましたのでそこで済ませましたら、途中でT1さんのお父さんがいらしてここは親戚との事でした。(やっぱり)

荷物を持って運政招待所へ、前回ここの宿泊費をT1さんがここの経理に値引きの交渉をしてくれるという約束をしていたのですがその為、50元から30元に安くなっていました。ここ運政招待所に最初に訪れた2年前は60元でしたから半分になりました。やはり競争があると値段も下がるようです。





2日目 戛洒 お土産配り




戛洒の日々が始まりますが 今回は年末の為、5日間の予定です。今回は11月に訪れた時に撮影した3回分の結婚式の写真とビデオテープから作ったVCDを被写体の人達に配るというのが一応の目的です。写真とVCDを持って取りあえずT1さんの家へ向かいました。昨夜のお礼を言っている間に丁度 朝食時だったようでご馳走になってしまいました。
11月に参加したT3さんの結婚式の写真とVCDは本人に渡したいのですが現在 戛洒の製紙工場の寮にいて私が工場に入っていくと工場の警備員が入れてくれません。11月も工場の前から工場をビデオカメラで撮っていましたら怒られました。
この工場は中国の一般の有限会社なのですがそれでも敷地外からの撮影に対して制約を受けてしまいました。
そういった事からT3さんに渡す事が出来ませんのでT1さんに渡してもらう事にして写真とVCDをお願いしました。

T1さんの家から11月に最初に結婚式に参加させてもらった家を訪れてみました。しかし家には誰もおらず鍵がいつもかかったままでした。その足でT2さんの家に行きましたらT2さんがいました。彼女は現在 T1さんと共に戛洒の電影院の中の賭博場に勤めているそうで、仕方が無いとはいえ芳しい事ではありません。本人達も自覚はしているのですが田舎で農作業以外で現金収入のある仕事はなかなかありません。

そこから一人で11月に2度目の結婚式に参加させて貰ったT2さんのお母さんの弟さんの家へ向かいました。お二人とも在宅で暗い家の中に入って4つ切りの写真とVCDをお渡ししました。しかし残念ながらTVはあるのですがVCDのプレーヤーはありませんでした。

午後からは戛洒の街を歩いてましたが戛洒の農業銀行へ寄って貯金が可能か聞いてみましたらOKとの事で試しに100元で貯金通帳を作ってみました。この通帳は雲南省ではどこでも使えるという事です。印鑑は使用しません。従って通帳だけあればおろせてしまうようですので取り扱いには日本以上に注意がいると思います。薄いペラペラの通帳なので一緒に厚紙の入ったホルダーがついてきました
農業銀行の近くのカメラ屋さんによってから夕食は宏福飯店にて。17元 12月だったせいか冷えたビールは無し

運政招待所に帰りますと招待所の小姐が民族衣装を着た写真を撮って欲しいとの事で、では明日、元江河畔で撮ろうという事になりました。さあ寝ようとすると10時頃、部屋のドアがノックされその彼女がもう民族衣装を着て部屋の前に立ってます。17才だそうで活動的な子でした。








3日目 戛洒 小姐撮影 戛洒は素晴らしい






朝です、運政招待所の経理の奥さんの妹さんが経営する「三老表飯店」へ、ここはいつも朝食を食べているのですが 私が辛くないものをいつも頼んでいるので黙っていても美味しい米線が出てきます。小学校に上がった娘さんが可愛くて 写真を撮っては持ってきているせいかほとんど米線代金を受け取らずこちらが困ってしまいます。1.5元の米線代と、私が持ってくるお土産代のバランスの問題なのでしょう。こういった日本の以上の気遣いをしてもらうと、私には戛洒がますます桃源郷のように感じられます。本当に嬉しくなってしまいます。(ですからあまりお土産を持っていけません)

招待所に戻り昨夜の小姐と同僚の小姐など、結局3人の小姐達と共に元江の河畔に向かいます。20分ほど歩いて、曼秀老寨へ、ここは元江の河畔で典型的な花腰タイ族の農村の村のようで歩きながら とてもシアワセな気分になりました。なんだか夢にまで見た雲南の農村の風景にそっくりに思えてきます。とてもこの時の気持ちは文字に出来ません。

三人の内、一人だけ自分の家で着替えてくるようで途中で別れて残った二人で曼秀老寨の家へ向かいます。周囲の広さのわりにはこの老寨は泥レンガで2階建ての家が密集して立っています。3人で2階に上がり着替えか始まりました。昨夜の女の子は自分で民族衣装を持参していて自分で着替えています。この家はもう一人の女の子の家でしたのでここの母親と共に民族衣装の着替えをしていました。

いつも大概1時間ぐらいは着替えに掛かりますので見ていても良いのですが退屈ですので老寨の周りを歩いて見ました。ゴミなども結構落ちてはいるのですが、老寨の周りの農家自身が食べる蔬菜類を作っている小さな畑はとても風情があり、雲南の農村の風景がありました。写真にも撮ったのですがとても写真では表す事は出来ないと思います。

家に戻りますと母親が民族衣装の紺色の布地の染めをしていました。巾50センチほど長さは4メートルほどの布地を2階に棒でつるして乾かしていました。2階の屋根にはその為か紺色の染料が染み着いています。戛洒の花腰タイ族の民族衣装は2種類あり、結婚後着用する紺色をベースにした地味なものと、結婚式まで着用する色鮮やかなタイプがあります。
前者はほとんど手作りで地味ですが本来の花腰タイ族の民族衣装だと思われます。後者は大変 明るく、緑、赤、青がベースですが布地自体は工場製でした。
着替えは1時間ほどで終わり午前11時頃 曼秀老寨の中を3人で歩いて行きます。老寨の中は大きな水洗い場があり、年配の数人の女性が民族衣装を着て野菜を洗っていました。水牛が何頭もつながれている間を通って元江の河畔まで歩いて行きました。この河畔はかなりこの老寨の人が面倒を見ているようで河原にはゴミがほとんど無く、水辺の樹木もきちんと根本が石で保護されていました。別段公園になっているわけではない場所でこんなに綺麗になっている河原を中国で初めて見ました。次回は弁当を持ってピクニックに来たいと思わせる景色でした。

その河原にはシックな方の民族衣装を着た女性や、水牛を追っている女性など なんだか普通の雲南と異なる夢のような気分を多少感じました。後で聞いたのですが3月にあるここ戛洒の花腰タイ族のお祭り「花街節」の時にここで民族衣装を着て集まるという事です。(何故 今年3月に来た時に誰も教えてくれなかったの!)

元江の河原に繋いでいた小船に小姐が乗って撮影が始まりました。私自身、あまり女性の写真撮影の経験が無いのでどうして良いか判りませんでしたが 今までT1−T3さんは歳のせいか自然と撮影出来ました。しかしこの時の小姐は年齢が若いせいか、被写体としてどうすれば良いのか判らないようで、更にこちらも細かい指示が出来ません。枚数ばかり増えていきますが 果たしてどんなものが撮れたのかわかりません。その内に先ほど一人だけ別れた小姐が下流から歩いてきて合流しました。

撮影も最後の方になりますと1本のフィルムをカメラに入れて自由に撮ってもらいました。結局、全部で150枚ほど撮影しました。撮影に使用したカメラもポケットに入るリコーのR1sでしたので 相手も緊張感は無かったようです。こんな事なら一眼レフを持ってくればと思っても後の祭りでした。



撮影も終わり、着替えをした家に戻り小姐達は普段着に着替え招待所に戻りました。

昼間 宏福飯店にて10元
午後からは記憶がありません







4日目 戛洒から耀南村へ




この日、T1,T2さんの仕事は老板の都合でお休みとなりました。そこで招待所の1階の青年の耀南村の生家をみんなで訪れる事にしました。
軽の面包をチャーターして5人で9時頃出発です。

耀南村の家は既に2回ほど訪れていて2回目は3月の花街節の前日までお邪魔しました。今回はそれから9ケ月ほど経過しています。その時は花街節と、この家の男性の結婚式が重なっており、私は花街節を見るために式の前日に戛洒へ降りてしまい、新娘には合っていません。今回初めて会えるのを楽しみにしていました。

1時間半ほど鎮源までの砂利道を進んで耀南村冬瓜林に到着、10分ほど歩いて農家に到着しました。オバアチャンは元気でした。しかし残念ながら新娘は家に帰っているという事で会えませんでした。ただの里帰りならいいのですが今 中国では離婚率が18%という高率だそうで問題があって家に帰ってしまったのではないかと余計な心配をしてしまいます。

1時間ほど家の周りでうろうろしていますと昼過ぎにお昼です。今回もオバアチャンが昼ご飯を作ってくれました。この家の家族と私たち8人ほどで昼食です。
ガヤガヤと1時間ほど食事が済み、帰りの途につきました。途中、1950年頃 この辺りいた匪賊掃討の戦いで死亡した英雄記念碑に寄りました。まだこの頃は雲南全てが共産党の支配下にはなく部分的にこういった匪賊の支配下にあったようです。ただ私には本当の所は全く判りません。この戦いで人民解放軍側に二十数人の犠牲者が出たようでその記念碑が立てられていしまた。高さ10メートルほどの白塔で下に犠牲者の名前が刻んでありました。驚いた事に建設したのが2000年1月という事で 今でもこういった記念碑の建設がされているという事は驚きでした。

帰りは天気も良くなり半分ほど進むと希望小学校がありました。停めてもらい聞いてみましたら彝族の小学校でした。一番下の標高数百メートルぐらいの所にタイ族、その上に彝族、更に上の2000メートルほどの所に漢族が住む多層構造の民族分布です。そして戛洒も耀南村も普通の小学校ですがここの小学校は希望小学校で貧しいのでしょう。ここだけ希望小学校です。先生に気持ちだけRMBを渡しておきました。

小学校前で地元のお爺さんを乗せて戛洒まで5時過ぎに戻りました。
夕食はT2さんの家で







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