■雲南 緑春と新平県戛洒鎮(6回目)
その一





■緑春と戛洒(がさ)へ




 雲南の西双版納でマンションを購入されて暮らされていた神戸の北山さんの「西双版納ロングスティのすすめ」という本をご覧になった方もいらっしゃると思いますがこの方が頑張って「雲南桃源倶楽部」という組織を切り盛りをされています。
この倶楽部では年に2回ほど親睦を兼ねて雲南方面の旅行を催行されています。今回は 昆明−弥勒−文山−河口−金平−緑春−思茅−景洪 というコースで11月にありました。当初、私も参加するつもりでしたが やはり戛洒にも行きたいという思いがあり、断念しました。個人的にその旅行開始から少し遅れて一人で雲南行きのチケットを購入しました。

その後、この旅行のコースの一部の宿泊地が変更になり緑春で宿泊がなされるという事を知り、昆明から寝台バスで緑春に向かえば会えるのではないかと思い、不確実ながら急遽、寝台バスで昆明から緑春に向かう事にしました。



今回も昆明までのチケットは横浜の港華旅行という会社にお願いいたしました。


ビデオカメラはキャノンのXV1
インスタントカメラはフジのチェキを持参しフィルム120枚を持参しました。

今回戛洒鎮へ行きましたら 観光用の戛洒鎮のパンフレットがありましたので貰ってきました。

   戛洒鎮のパンフレット





旅の主な日程




 1日目 羽田から関空へ 関空から昆明へ 寝台バスで緑春へ
 2日目 緑春で雲南桃源倶楽部の皆さんと哈尼族の村へ 元陽(南沙)へ
 3日目 元陽から江河,元江へ
 4日目 元江からバスで戛洒へ
 5日目 戛洒滞在 花腰イ泰族結婚式
 6日目 戛洒滞在
 7日目 戛洒滞在
 8日目 戛洒滞在
 9日目 戛洒から 鄂嘉往復
10日目 戛洒滞在 T2さんの叔父さんの結婚式
11日目 戛洒滞在
12日目 戛洒滞在 T3さん結婚式
13日目 戛洒から公共汽車にて昆明へ
14日目 昆明 公共汽車站時刻確認、午後から翠湖公園へ
15日目 昆明 愛イ尼山庄へ 午後 昆明から羽田へ 帰国





登場してくる人物は略称です。

  T1さん   花腰タイ族の小姐 以前 招待所で働いていました。
  T2さん   花腰タイ族の小姐 今 家にいます。
  T3さん   花腰タイ族の小姐 今度、結婚されました。







1日目 昆明へ



今回も、日本エアシステムで羽田−関空−昆明線です。
朝3時半に家を出て午前6時に羽田空港に到着、今回は羽田−関空便はビジネスシートではありませんでした。この区間ですがいろいろ調べてみましたが無料区間ではないようで昆明−大阪と昆明−大阪−東京の料金格差がありました。それでかきちんとJASのマイレージに加算されています。
機内は80%ほどの乗客で乗務員はハーレクインエアの社員でした。サービスはこちらの社員の方が格段に良いように感じられます。しかし機内食はなんだかレベルダウンのようです。

予定どおりに昆明に到着したのですが、空港での両替所が開いていず空港の駐車場を横断して中国銀行で両替をしました。今回は円の現金でしたのでレートは悪いのですが何の問題も無く終了。カメラとビデオカメラはノーチェックで通過しました。

67番バスで昆明站へ、早速 緑春行きの16:00発の寝台バスのチケットを購入し(79元)、荷物を預け、火車站前に火車の時刻表を購入しました。今回 大幅な時刻変更があったようです。腹ごしらえをして寝台バスへ向かいます

今まで寝台バスは乗りたくてもチャンスがなかったのですが今回は時間節約とピッタリのバスがありましたので「危険」という意見もあったのですが初めての挑戦です。
バスは中国製の大形バスですぐに見つかりました。チケットの半券を運転手に渡すと荷物の多い私をステップから引き上げてくれました。車内に入ると異様な臭い、噂に聞いていましたがやはり臭います。なんだか子供のオシッコのような臭いです。しかしゴミなどは落ちていません

定員は33人ほどバスの通路の両脇には2人で寝るベットが上下2段になっています。すでに何人かの乗客が乗っていましたがそれほど混んではいません。ほとんどが2人ベットを一人で使用しています。発車の時間になってもなかなか出発しません。結局、40分ほど待っても乗客はほとんど増えず出発しました。私も2人分のベットの下段を使用出来、快適な旅になりそうです。出発を待つ間に何故か$1札を出して哈尼族の男性に見せていましたら運転手が後ろまでやって来てその札を持っていってしまいました。結局この1ドルは戻ってきませんでした。運転手のマナーの悪さはいろいろ体験していましたがここも一緒でした。

バスは半分ほどの乗客を乗せ昆玉高速を玉渓に向けて走ります。車内の乗客は通路を挟んで反対側にハニ族の母子、私の上には山東省から働きに来ている3人組の男性がいました。更に哈尼族の男性が上のバス後部にそれぞれ乗っており、向こうから何かと話しかけて来ます。暇潰しには良いのですが、こちらは朝3時から起きていて眠たくて仕方がありません。バスは玉渓で高速道路を降りて通海に向かいます。この頃には7時過ぎで外は真っ暗になり通海までの山道を埃の中を進みます。この山道は2年程前にも通ったのですがまだ工事が終わらず舗装されていません。

通海の街で2人ほどの短距離乗客を拾ってから道路にバスを停め休憩です。ここで30分ほど小飯店で各自が食事をとっていました。ここから1時間ほどで曲江です。ここのバス站に入り、車両点検をしていました。10分ほど停車

更に1時間ほどで建水です。もうバスの中は誰もオシャベリをしていません。ここはトイレ休憩ぐらいの時間で午後10時に出発です。懐かしい朝陽門の廻りを2度ほど廻りました。寝台バスも車内が冷えてきて車内にあった布団を掛けて寝てしまいました。車窓には雲南の夜空の星々が見えています。星をみながら 雲南にやってきたのだという想いが急に湧いてきました。

建水から江河の街、元陽の県城の南沙までは初めてでしたがいつのまにかぐっすりと寝てしまい気がつくと午前3時半、バスは停まっています。黄芽(山令)です。山東省から来ている男性3人組はここでおります。この地は旧元陽の新開鎮の南で棚田のある所ですが外の景色は全く見えません。




2日目 緑春 哈尼族の村 南沙へ




バスは緑春県に入り、金平から来た道との交差点で前回と同じように解放軍の辺境警備の為に身分証のチェックがありました。バスの中に解放軍が2人ほど乗り込んできました。隣のハニ族の母子はノーチェックですが男性客は身分証を出しています。私はポスポートを出しましたら、それを持ってバスから兵士が降りていってしまいました。5分ほど待つと返してくれました。それも謝々という言葉も返ってきました。
そこから30分ほどで緑春の街へ6時少し前にバス站に到着しました。しかし乗客のほとんどは まだ時間が早いせいかまだバスの中にいます。私はトイレに行ってからバスの時刻表を見にいきました。

バスの時刻表は小さな板に20本の便が書かれています。その中に金平に向かう便も出ていました。その金平行きのバスが6時過ぎに丁度出発でした。

7時頃 やっと外も明るくなり、雲南桃源倶楽部の皆さんが泊まっていると思われる緑春の政府招待所に向かいます。バス站にいた地元の男性が私の荷物をリヤカーに乗せて運んでくれました。感謝
受け付けで聞いてみましたらやはり日本人が泊まっているとの事、部屋の番号を聞いて上の階に上がって、取りあえずドアをノックしましたら雲南桃源クラブのホームページを作られているN氏の部屋でした。N氏も突然の私の訪問に驚いていました。
もし雲南桃源倶楽部の皆さんに会えなければこの緑春到着の日は哈尼族の十月年のお祭りの日で車をチャーターして一人で村廻りをするつもりでした。

北山先生ともここで初めてお会いし 年齢にしては大変お元気でびっくりです。朝食時に参加されている皆さんに紹介され2日ほど同行させていただく了解を得ました。雲南桃源倶楽部の皆さんには ここから元江まで同行させていただきありがとうございました。

朝食は招待所で、出発まで時間がありましたので近くの市場へ、
9時頃? 2台の車で出発です。哈尼族の村へ向かいます。元陽までの道を数Kmほど戻り脇道に入ります。砂利道を上がって嶺を越え、今度は下りです。道も細くなり最後には車も通れなくなり全員歩いて村まで行きました。地名は緑春県戈奎郷埃イ果村公所格(上下)村 ZIP662508 です。村の下に村がありました。

村は東南の斜面にある日当たりの良い村で近所には茶畑もありました。家の壁は土塀で、テレビは何割かの家に入っていたようです。村の中を暫く歩いていましたが、この村で昼食という事であちこちと歩いていましたが 十月年のお祭りは全く無いようでした。中国の少数民族のお祭りが一覧になっている本で調べて出かけてはいるのですがその本には お祭りの日時と名称、大まかな地名が載ってはいるのですが十月年にしても 雲南紅河州と書かれているだけですからお祭りに参加するには予めの下調べが必要です。

昼食の用意が出来て一軒の農家に入ったのですが、雲南桃源倶楽部の皆さん、旅行社のガイド、現地の紹介者、農家の人々で家の中はかなりごった返していました。私は農家の方と一緒のテーブルに付きましたが戛洒の田舎の食事と ほぼ同じようなものでした。
この家は龍則規さんという家でオバアチャンが采配を振るってくれたようです。いくらかのお礼をこのオバアチャンに渡し、龍則規さんには使い捨てカメラを渡しました。するとこのオバアチャンが則規さんにお礼をいいなさいと怒っていました。雲南にはマナーがあるのです。

雲南の田舎の楽しみは農家の人が自分で摘んだお茶が出てくる事で、ここでも大きな葉っぱが入ったお茶かコップに入って出てきましたので、図々しくお土産に欲しいとお願いしましたら沢山、お土産として貰ってしまいました。手摘みのようで葉の大きさがまちまちですが 帰国してからの楽しみです。

この村で哈尼族のお祭りで有名な元陽の俄孔村(ここから東に数十Km)について聞いてみましたが全く知らないとの事、この村は村の通りに数百メートルのテーブルを出して宴会をするもので かなり有名なのですが やはり農村の交通事情の悪さから数十Kmほどでも大きな距離のようです。

結局3時間ぐらいはいたのでしょう。食後すぐに降りてきた道を再び歩いて登って車までいきましたが食事直後のせいか 汗はかくし、草臥れました。

金平からの交差点のチェックポイントをノーチェックで通過し、元陽に向かいます。何度か休憩をしながら旧元陽の手前、攀枝花あたりから棚田が広がりますが棚田は稲刈りが終わったばかりのようであまり絵になるような風景ではありませんでした。旧元陽の数Kmほど手前のあまり広くない棚田で写真撮影です。もう夕方で暗くなりつつありました。
旧元陽は県城では無くなってしまったせいかなんとなく元気の無い街のように感じられました

そこから1時間半ほどで現在の元陽県城(南沙)に到着です。ここの南沙大酒店は2つ星でバスタブがあり洗濯をしてお風呂に入れました。やはり2つ星辺りが私には丁度良いようです。







3日目 元陽から元江へ







昨夜と同じ南沙大酒店の餐庁で朝食後、車で紅河方面へ出発です。紅河は川の名前でもあり、又地名でもあります。南沙自体が紅河の河畔にありその紅河の南側の砂利道を県城の紅河に向かいます。
99年1月は南沙から同じように河口方面へ走りましたがこの時は紅河のすぐ隣に道路が沿って走っていましたが、こちらの道路は紅河自体から少し離れて走っていますので紅河が見えたりみえなかったりします。やはり痩せたラテライトの土地とたまに見える集落、支流が流れている場所にはバナナが植えてあり天気も良いせいか、ちょっと人恋しくなってきます。
南沙から紅河(地名−県城)までの中間辺りの馬湾という場所で市があり2台の車を降りて私たちは見物となりました。少数民族の水イ泰族(こっちは聞いてみました)と元陽の彝族に似た服装の2つの少数民族の人々の両方の人が混じっているようです。

水イ泰族の服装の基調はやはり黒で新平のイ泰族も黒が基調ですからやはり地域的なものがあるのかもしれません。
30分ほどで出発です。この辺りになると人家も畑もあまり無く、一部に工場向けのサトウキビが作られている程度です。車は少しづつ高度を上げていき山の頂のような場所に紅河(県城)が見えてきました。この街も元陽の旧県城のような馬の背のような場所にあるようでいたる所に坂がありました。予定ではここで昼食後、北山先生が以前合われたという老朋友に会いに行く事になっていたようですが その場所までは遠くて道も悪いという事で後日、墨江方面から向かうという事になりました。

最初の予定の宿泊場所である一番綺麗な紅河施薩賓館で昼食の予定でしたが急遽、変更となりました。ここでこの日は、ルートを変更し石屏で宿泊という事になりました。
紅河から石屏までの道路はまず馬の背のような高度から一端、紅河(川)まで降りて橋を渡り北上する事になります。西双版納へ行かれる一行にとっては逆方向ですが紅河から墨江までの道路は悪いという事でこちらのルートとなりました。
紅河の橋を越えると山間いの舗装道路を快調に進み、平野が見えてきます。農家の作りも漢族風の作りでここ石屏から建水に至る地域は漢族の住む地域のようです。3時過ぎに石屏賓館に到着、ここでも更に道を進めて元江へ向かうという話になり急遽、石屏から出発する事になりました。

石屏から暫くは古くから漢族の住む地域らしく平原が広がって農業地域としは申し分の無い地域のように感じられましたが、暫くすると再度 道路は山間いの砂利道となりました。しかも丁度 道路の改良工事が20Kmぐらいの距離に渡って続けられており、1年もすれば舗装されるように思いました。

車は暗くなる頃に昆明−西双版納の道路の交差点に到着し、元江方面に向かいます。しかし以前通った時に較べて異様に通行量が少なく、何かあったのかと心配してますと、車は玉元高速のインターチェンジに入っていきました。玉元高速が開通していて今までの既存道路の交通量が減っていたのでした。

かなり暗い中を快調に元江に向かって進みます。侵入したインターチェンジの名称を見逃してしまったのですがもう一つのインターを通過して、終点の元江のインターチェンジで下りました。この場所は元江の街から手前17Kmの地点です。
元江の街には元江(川)=紅河 を渡り、更に30分ほど走りやっと元江賓館に到着でした。この日は、何度も宿泊地が変更になり旅行社も大変だったと思います。

元江賓館で夕食後、2日間お世話になったお礼を言い汽車站に戛洒へのバスの時刻を調べに行きました。
突然 飛び入りで参加して面倒を掛けてしまい、雲南桃源倶楽部の皆さんにはお世話になりました。







4日目 元江から戛洒へ




朝6時頃 起きてチェックアウトの為に服務員を探してうろうろしていますと桃源倶楽部の北山先生が起きてこられて別れを見送っていただきました。先生はすでに80才を過ぎておられているようですがお元気で皆さんをひっぱって行かれているようです。
先生はこの日、チャーターした2台の車の1台で老朋友に合いに行かれるそうです。その他の人は直接 目的地の思茅に向かうようです。

私は昨夜の汽車站に向かい、戛洒行きのチケットを購入しようとするのですが 何故か売ってくれません。? ここでは無いというのです。しかし掲示されている時刻表に載っています。女性の服務員が汽車站から西の方を指さしているのですが 早口で何を言っているのかわかりません。それでもしかしたらと思い、バス站の前の道路で待ってみました。ここが始発では無くて 他の場所が始発で道路から乗車するのかもと思ったのです。
しかしそれでも30分程待っても1台もバスが通りません。もしやと思いリンタクを停めてもう一つバス站があるなら乗せていって欲しいと頼みますとやはり有るとの事で5分ほど西方面に向かい、元江県県郷客運站に到着しました。すると先ほどのバス站の時刻表のバスがあったのです。
まったく2つのバス站の時刻を一つの時刻表に同じように表示するなんて思いもしませんでした。(どうもこういった事はかなりあるようで帰りの新平のバス站でもありました)

目的の朝7:00の戛洒行きは既に出発しており30分後の漠沙行きがありましたのでそれに乗って取りあえず出発です。
このバスもマイクロバスで定員程度の乗客を乗せて出発しましたがその内に乗客が増えて途中からはお客さんが手を挙げているのですが素通りでした。天気は曇り空
元江を右手に見ながら2時間ほどで漠沙の元江沿いの街に到着しました。漠沙も2つに別れているようで元江沿いの方が古いようです。ここで30分ほど待って新平行きのバスに乗り途中の曼蚌で降りるつもりです。曼蚌で新平から戛洒行きのバスを捕まえて乗ります。

漠沙からは漠沙に住む可愛い、イ泰族の女性車掌と漠沙の病院の夫婦の医師と共に出発です。いろいろと車内で話が弾み、日本の医薬品の高さが話題になり、今度漠沙に来たらビタミンCをお土産にいただける事になりました。私はいつもビタミンCをお土産に買って帰るという話からそんな話になりました。

1時間ほどで曼蚌の交差点で下車、すぐに戛洒行きのバスがやってきて乗車、ここから戛洒までの20Kmほどは道路の改良工事が始まっていて一部舗装されていました。
戛洒までは11月の景色らしく緑の稲田ではなく刈り取りの終わった稲田の風景でした。1時間ほど、午後1時に戛洒到着、いつもの運政招待所に直行したのですが満室との事で、仕方無く南恩大酒店へ向かいました。ここは60元で貴重品は預けておいた方が良いという事でカメラ類を預けました。

お昼がまだでしたので宏福飯店へ行ってみましたら以前の老板や従業員が戻っていて店内も綺麗になっていました。早速ここで昼食です。聞いてみましたら8月はみんなで玉渓に行っていたそうでなんだったのでしょう。これで安心して食事が出来ます。

その後いつものT1さんの家に向かったのですが誰もいません。T2さんは家にいて 仕事が無いとの事でしたがT1さんは電影院で働いているとの事、T3さんは16日に結婚式を挙げるとの事でした。
私が南恩大酒店に宿を取った事を話すと、60元は高いという事で次の日、T1さんの家の対面にある戛洒汽車維修中心の住宿部にT1,T2さんに連れていかれ、以後8日間そこで泊る事となりました。空調付きの新しい部屋で30元でした。

この日から9日間も戛洒に滞在してしまいました。それほど長居はするつもりは無かったのですがこの11月は結婚式のシーズンのようで16日まで3つの結婚式に参加する事になってしまいました。その為撮影したビデオテープの相当の割合がこの結婚式の模様で、帰国後は次回訪れる時に渡す、ビデオCD作りをしなくてはなりません。

1日だけ泊まった南恩大酒店の1階が餐庁でこの日の夕方も結婚式が行われていました。又 戛洒の宏福飯店も含めた2ケ所でも結婚式がありました。

以後 長い滞在でしたので細かい点はもう覚えていない事が多く要点のみを書きたいと思います。
今回は外食の機会が少なくT1,T2さんの家でご飯を頂いたり、あるいはT1,T2さんの親戚の家、結婚式に出席した家で食べており もうあまりの滞在の長さで忘れてしまいました。








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